東京裁判にたいするスタンス

またまたhttp://blog.goo.ne.jp/ikedanobuoから引用することになるのだが、とくに今回は池田氏に異議を申し立てするものでもない。
かといって、賛意を示すわけではもちろんないが、池田氏のコメントをちょっと興味深いなと思ったのでメモ的に自分の日記に残したいのである。
そのコメントとはhttp://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/d18221f1907d8c5e2b9e9094a6cb48a1より以下の部分。

朝日の報道 (池田信夫)

2007-04-15 09:58:07

この記事だけではくわしい内容がわからないが、インドネシアについては、スマラン事件と同様の事件が他にもあり、各地で戦犯裁判が行なわれたことは以前から知られています。「警備隊長の命令でなされたのであります」とあるところから見ても、同じようなBC級戦犯の話でしょう。

http://www.awf.or.jp/program/pdf/p107_141.pdf

それよりも重要なのは、こういう文書が東京裁判で証拠採用されたという事実です。それが裁判でどう評価されたのか知りませんが、最終的には東京裁判慰安婦については有罪とされなかったことは周知の事実です。つまり、この資料が強制の事実を示すものだとしても、それは軍中央の命令によるものではないと認定されたわけです。

今回の資料は、「慰安婦東京裁判で裁かれなかったが、本当は国家犯罪だ。新たな証拠が出てきたので裁かなければならない」という「女性国際戦犯法廷」の主張を根底からくつがえすものです。つまり慰安婦問題は東京裁判で裁かれたが、日本軍は無罪だったのであり、その証拠も新しくないわけです。それを60年後に裁く理由はない。一事不再理です。

(後略)

後半部なのだが、つまり新しい証拠が出てきたので裁くべし、という主張にたいし、それはもう充分検討したよと言ってみたところであまり意味がないのではないか。
なぜならば、「女性国際戦犯法廷」がわに立つものであれば、東京裁判慰安婦問題を裁かなかったことは不当だ、もしくは不足している、と考えるだろうから。
つまりは、その充分に検討が、疑わしいわけで。証拠が新しいものであるか、過去にもう出ていたものなのか、問題はそんな所には、ない。


東京裁判というものはどういうものだったのか。
充分だったのか、政治的に歪められていなかったのか、公平性に問題はないのか、あらかじめ結論ありきでないのか・・・等々。
証言や証拠が真実であるかどうか以前に、もういちど検討するべきことはあるのではないか。


などと考えていて、興味深いな、と思ったのは、そもそも東京裁判といえば、その否定に関しては右派の方がぜんぜん熱心ではなかったか、という事である。あんなのは暗黒裁判だ!!とか。


ところが、池田氏は「60年後に裁く理由はない。一事不再理です。」なのである。
東京裁判時にすでに提出された証拠に基き、裁かれたものに対して異議申し立てはもう出来ないよ、と。
心強い援軍が現れたと池田氏のことを思っている右派の人たちは、どう考えているのだろうか。
私には、池田氏はたとえば、"新しい証拠でもないかぎり戦犯の名誉回復などは出来ませんよ"と言っているに等しいと思われるのだが。


東京裁判を主体的に見直すことがナショナルな感情を呼び起こすというリスクは多少あるのかもしれないけど、もういいかげん、GHQの右旋回による隠蔽は解かれてもいいのではないか。政治的な妥協で、得るものは充分得てきたのではないか。
それで傷つく人が少なくなったというのではなく、それで救われる人がまだ残っているうちに、一事不再理などとは言わず再検討したらいいではないか。かなり特殊な裁判だったという認識は右派も共通してるのだろうから。
そして我々が、政治的な妥協で得たものの構築は、その再検討にもう充分に耐えうるんじゃないだろうか。


などとまた観念的な作文になってしまったが、そんなふうに考えたのだった。