自分が不幸になるときは他人も不幸にしないと気がすまない人達

表題をいいかえれば、藪から蛇を出したがる人達とでもなるのだろうか。


暫くこのブログから遠ざかっていたので、長文が書けるのかどうか不安で、今回はリハビリのようなものである。
たんに、気付いたんだけれど似たような人がいますね、というだけの話。
リハビリだからというわけではないが、別にそれらを分析してどうしようというつもりはない。たぶんそんな能力もない。(ついでに言うと、リハビリとはいえ、これから再びしばしばブログを書くようになるかというと、そんなつもりも余り無かったりする。)


最近でははてなブックマーク - 「男子臭いバス乗れない」女子悲鳴でにおい対策 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)でのコメントに多くの、<そういうタイプの人>が観察される。
百歩譲って、臭いに対して女性はもっと寛容であっていいんじゃないの、そういう批判ならまだ分からなくない。しかし、女性の化粧・香水臭さも勘弁してくれ、というようなコメント多すぎないか、これは。(しかもご丁寧に、生物学的に女性の方が、とか言い出す人もいたりする!)
男子学生の臭いへの苦情を学校に言ったら、「いやいや女性だって臭いじゃないですか」と学生課の人が返してきたりしたらきっと苦情言った本人は仰天するだろう。まさにヤブヘビ。恐ろしや。(とはいえ、ネットと違ってリアルでそんな事はあまりないのだけど)


基本的にはあまり関係のないことだろう、と思う。女子短大としてずっとやってきた地方の学校なんかが少子化を見越して共学化したものの男子学生の数が少なく、その男子学生から苦情が出た。そういう例があったならそれはそれできちんと応対すればいい。女性の臭いが問題ならば、そういう時点で問題にすれば良い。まだ起きていないことを、まるで文明史を論じるかのように心配しなくても。
もっと言うなら、本当に女性の臭いがこの社会で問題化しているのかどうかについても疑問だったりする。結局反動なんじゃないの、と思ってたりする。常日頃から女性の臭いが気になっているというより、女性が男性に対して文句を言ってきた場合にのみ想起される体験に過ぎないのではないの、女性に文句を言う人達の体験って。
「そんな事いうなら、じゃあ言うけども」などと、女性からの苦情をケンカ売られたと勝手に思い込んでケンカを買っただけの事なのではないか。しかし、結局、「そんな事いうなら」でしかなく、そんな事が言われなければ楽勝で我慢できていた。ならば誰が何と言おうとずっと我慢していればいい。我慢できる所から何も言わないというのも、臭い敏感化社会への、微々たるものかもしれないが抵抗の第一歩だろう。


でも言いたくなる人達がいるんだよね、そしてタイプとして似たような主張があちこちで見られるなあ、というのが今回のブログの中心であって、上記はややダラダラ書きすぎたかもしれない。
罪というか悪というか間違いというか、要するにそういった責められポイントを自らや自らが属するもののみではなく遍在させることで希薄化する。こういった事は昔から行われがちであった。「だって皆やってるよ」みたいな。
がしかし、昨今は戦略的確信犯でもなく幼稚さゆえにでもなく、こういった事が行われる例が見られるような気がする。まるでそれが正義なのだと言わんばかりに。常に誰かに自己実現を阻まれていると感じているかのような、自分は不当に虐げられていると思っているかのような人がやはり多いのだろうか、なんて、冒頭で分析しないとか言いつつ、書いてしまった。
ボロが出ないうちに、<そういうタイプの人>が他に見られた例を挙げて終わることにする。

当初の問題提起(a) <そういうタイプの人>のヤブヘビ主張(b)
自転車の無灯火やアイポッド運転は問題だ クルマのケータイ運転や、カーステレオも何とかしろ
アニメやマンガの行き過ぎた性描写は問題だ 純文学にだって、過激な性描写はたくさんあるぞ
アニメ・ゲームでオタクは女性を差別しているのではないか 一般女性からの、オタクへの差別のほうがひどいよ
タバコの煙を何とかしろ クルマの排気ガスはいいのか
ネットはデマが多くて問題だ マスゴミのほうがひどい
男子学生の臭いは・・・ 女性の香水は?


ブコメでも書いたが、<そういうタイプの人>がこういう主張をするとき、真にその主張(b群)が解決されることなどは余り望んでおらず、むしろ(a群)の問題を無問題化したいという欲望が透けて見えるところに、大きな特徴がある。
言い換えれば、(a群)の問題が無問題化されるのであれば、(b群)など彼にとっては問題ではないのだ。エロマンガを楽しめるなら多少の被差別は構わないといったところ。


また、世代間格差という問題があって、若者が中老年世代に対して向ける目が年々厳しくなっている。これなどは、分配的正義の問題として理解できなくはない。老年の方々にいま少し我慢してもらえれば、若者に金が回るかもしれないという期待がある。しかし、今回挙げた例では、他人を少し不幸にすることがゼロサム的に自分の幸福度をアップさせるわけではない。女性が香水をつけなくなっても、男性の匂いが許されることには繋がらない。純文学の性描写を厳しく排しても、それでマンガの自由度が増すわけでもない。
にも関わらず、他所の不幸を望むところにも特徴がある。


おわり