2009-01-01から1年間の記事一覧

内心=表現ではない

id:NaokiTakahashiさんに名指されていたので何か書くべきかと思っていたら、Apemanさんが圧倒的に詳しく書いていて、もう話としては殆ど終わっているような。 ともあれ私はNaokiTakahashiさんの次のような発言に反応したのです。(すいません。具体的にどの…

ある、自爆ならぬ自縛行為について

id:NaokiTakahashiさんはもう終了気配で気が引けるので、手短に。(何度もブクマで絡んだ落とし前みたいなエントリなので、流すように読んでいただければ、と。) やはり私は、NaokiTakahashiさんの方が都合よく現実主義を持ち出している気がする。それは、…

ひとこと

最近これほど頭くる事なかったんで、ちょっと、どころかかなり乱暴な、人によってはおおいに不快になるかもしれないが、それすらも敢えて、ひとこと書かせて頂く。 理系学者ごときが国家、国家うるさいよ。 しかも競争がどうのって恥ずかしくも唖然の世俗ま…

ある困難について

■沈黙していることと「本気で思うことは出来ない」と公言すること 思う事と言う事が直結している、なんて馬鹿げた事は、たとえば幼児でなければ、そんな事はありえない。というか、思うことをそのまま言わない事によってしか、われわれは生きられない。 日常…

うまく言えないのだけど運動について

いやその、うまく言えないことなど、公開の日記に書くなって言われればそうなのだが。 運動が先鋭化するのは、「皆同じでなければならない」という運動論の裏返しとしてあるのではないか。とか考えてみた。 一見、正反対のベクトルのように見えて、同じとこ…

行間を甘くみないで欲しい

昨夜はある人のブログにとても感銘を受け思わず駄文を連ねてしまったのだが、そのあとある人のブログを読んで脱力してしまった。 村上春樹も、自分のスピーチに感銘を受けた人がこんな事を言っているのを知ったら頭を抱えてしまうのではないか。 確認してお…

「正論主義」ではありたい

(以下ただのつぶやきです。自分自身にとって以外はそれほど意味がないかもしれませんので一応) 未整理のまま。 さいきん、村上春樹のスピーチ以後、正論原理主義批判が多く見られるようになったが、一種の自浄作用としてアリだと思う。 けれどもそれが行き…

自由であり且つ不自由という事

珍しく言及されてしまったので、NaokiTakahashiさんのその前後のエントリも含めて読んだ感想を書こうと思う。もしかしたら雲をつかむような事を書いてしまうかもしれないが、今のところそのようにしか書けないので、もし読まれる事があればなんとかご容赦い…

ほんとうに曖昧なものは何か

久しぶりにみたらこんなエントリが上がっていた。 いきなり骨子と謳って何項目か挙げられているが、solar氏が水村氏について書いた最初のエントリは結びの文章(「そして願わくば、このようなナショナリズムと悲観と無知と傲慢さ*7によって彩られた本は否定…

作家と作品と判断

作家を作品だけで判断すべきかそうでないかについて長々と書いたりする人がいるが、そんなに難しいことではないだろう。 だって、作品だけで判断すべきならば、巷に作家の評伝やらなんやらがこれほど溢れてはいないだろうから。作品のみで判断する、という主…

村上春樹から遠く離れて

私は村上春樹の作品を読んだことがない訳ではない。というか一時は熱心な読者であったくらいだ。 だからといってファンとして我慢できなくなったわけでもないのだが、流石にここでのコメント欄でのid:fujipon氏のこの発言はないだろうと思う。 ちなみに、繰…

結論はすでに出ている

そもそもこのエントリは一ヶ月に一回くらいは何か書いておこうというエントリなので、非生産的かもしれない。 で、これなんだが。 以下のような会話が例に出される。 Aさん「この前、買うって決めた商品ね、Aデパートで買うと2000円、Bスーパーで買うと980…