ある困難について

■沈黙していることと「本気で思うことは出来ない」と公言すること

思う事と言う事が直結している、なんて馬鹿げた事は、たとえば幼児でなければ、そんな事はありえない。というか、思うことをそのまま言わない事によってしか、われわれは生きられない。
日常生活をちょっと想起すれば分かることで、お前さんは、思ったことを全て口にして生活しているのか、と問えばいい。そして、言うまでもなく、日常生活もまた政治である。
ほんとうに感謝していなければ「ありがとう」と言えないというのは、幼児が良く陥る陥穽で、親戚のおばさんなんかに欲しくもないおもちゃを買ってこられて、ありがたく無いからありがとうが言えずその事で叱られ号泣したりする。
それも大人になれば、朝も早くから会いましたねという気持ちがなくても「おはよう」と、疲れていませんか大変ですねという気持ちがなくても「お疲れ様です」と言うことになる。ときに、当然言うべきところで逆に言わない事で内心を露呈させたりもする。つまり儀礼にしたがう事は内心の自由を保てる。ここに健全さが生まれる。


思う事と言う事が直結していなければならない、などと考えれば、そこではじめて、内心の自由さえも侵犯することが可能となる。ほんとうに済まないという思いが感じられるまで謝罪を要求したり、心底反省するまで殴り続ける事を可能にするだろう。


こんな事は当たり前の事であって、であるならば、当たり前の事ができないのは相当の理由がありそうだ。それについて考えてみた。

■実感は可能なのか

「70年前の中国人の事を本気で考えることはできない」というのは、おそらく、罪の実感のことを述べているのに違いない。
私は当初それを、戦争体験の実感、もしくは被害・加害の実感と捉え、実感なんてむしろ出来ないのが当たり前じゃないか、と思ってそう書いた。つまり少し誤読をした。
がこの誤読にも、いい訳にはならない程度の訳があって、それは、そこに「70年前の」とあるからである。時間によって薄れたり風化するのは何より「体験」であろう。


ここで体験(被害・加害)の実感について蒸し返せば、我々がそれを実感できるほうにむしろ無理がある。なぜというなら、当時の日本国内の人間にしてから、体験の実感を持っていたかどうか、帰還兵達と実感を共有したかどうか、甚だ疑わしいからである。当時の人間が感じられないものを、なぜ現代の人間が感じえようか、という訳である。
当時の人間が実感を持てたのなら、いかにして英雄と祭り上げた人間を一転「戦犯」と引き摺り下ろすことが出来ようか。シリーズ「証言記録 兵士たちの戦争」を毎度見ても毎度感じるのは、戦後多くの人が、今回初めて口を開いたという例が非常に多いことである。言い換えれば、彼らはずっと口をつぐんでこられたのだ。どうせこの実感は周りの人達には分かるまい、と。


しかし罪の実感という事になると話はちょっと違ってくるのではないか。それは、時間の経過にも左右されるだろうが、果たしてそれだけだろうか。
むしろあの戦争についていえば、直接手を下したわけではない人のほうが、罪を実感できるのではないか。というのが今回書きたかったことの中心である。

■罪の実感を阻むもの−飛躍の要請

一億総懺悔という有名な言葉があるが、当時の反省が全く口ばかりのものであったとはいくらなんでも言わない。幾ばくかの正直さが混ざらなければあそこまで大きな言葉として流通しなかっただろうし、何より私は、大陸にわたった人も、国内にいた人も等しく貶めたくはない。
しかしそこには大きな違いがあるのも事実で、何かといえば、それは「ある飛躍」があるかないかの差である。


戦地に赴いた人も、日本国内にいた人も等しく持つのは、自分達は戦争で被害にあったという気持ちである。中国人を殺した人たちだって、多くの人が持つのは、それは絶対命令であり自分達はむしろそんな事を強要された被害者である、という意識ではないか。
そして戦後、罪に目をむけることを迫られたとき、日本国内の人は被害者であること差し出してしまえば良いのだから、比較的(あくまで比較的)に容易だった。「過ちは繰返しませんから」が可能だった。罪を認めたところであくまで抽象的な加害者でしかなく、何かをされるわけではない。被害者から市民(抽象的にすぎない加害者)になるところに飛躍はない。
大陸の人々にとってはそうではない。自分自身が被害者であることを否定されると同時に、きわめて具体的な加害者であることを求められるという一足とびの飛躍がそこにはある。被害者のつもりでいたのが加害者だって?想像するにこれは驚天動地だろう。乱暴に例えれば、泥棒をせっかく捕らえたと思ったら、自分が手錠はめられて被告席にいるようかの如くなのだから。


そして恐らく、この飛躍を無茶な飛躍として、たとえば中国共産党がかつて撫順で捕虜となった日本兵達にやったような長い時間をかけた段階的な移動に替えることなく、飛躍を無理強いしてしまえばそこに心理的な抵抗が生じる。ひいては罪を実感する機会を無くす。それが表面化するとき、それを恐らく「反動」というのだろう。

■もうひとつの飛躍の無さ

飛躍がない、という事で言えば、戦後生まれの人々にはかつての戦争で被害者であったという意識がないのだから、ここにも飛躍はない。
むしろ飛躍がないという意味においては、戦地に赴いて中国人を殺した人よりも罪の意識を実感することが容易なのではないか。事実にさえしっかり向き合えば。かつて全共闘のころになって、より戦争犯罪を問う声が高まったのも、無関係ではないだろう。


纏めるならば、被害者→市民への移行(当時の日本国内)も、市民→加害者への移行(われわれ)にも飛躍はない。ただあるのは、被害者→加害者のみにおいて。つまり、終戦当時日本国内にいた人々や、戦後生まれの人々の方が、肝心の殺した人よりも罪の実感を得ることが容易であると言えなくもないのではないか。
ひいては、ただ時間のみにおいて罪の実感を測り、「70年前だからそんなに時間も経過しちゃうとその人のことなんて本気で思えない」と単純に言うのはどこか違っているのではないか。というふうに考えるが、どうか。
私はむしろこう言ってみたいくらいである。70年たったからこそ、改めて罪を実感することが出来る所に我々はいる、と。


(あるいは仮説であるがしっくりくるのは、現代において敢えてそういう事(70年前なんて云々)を言うというのは、自らもまた被害者と強く感じることにおいてであろう。そう考えるとかの発言主が洗脳洗脳言うのも納得がいく。つまりそこには飛躍があって、自分のような人間は洗脳的手段を使わないと被害者から加害者へと移行できやしないのだ、という事ではないか。)

■エロゲ規制に関連して

Apemanさんが、NaokiTakahashiさんの一種のエリーティズム?を批判しておられるが、私はむしろこの問題においても両者の了解・連帯を阻んだのは、そんなエリーティズムではなく被害者意識の存在ではないか、と思う。被害者意識が強いからこそ、罪の意識だとか踏み絵といった話に何度もループしてしまう。
といっても一方的にNaokiTakahashiさんに責があると言いたいわけではない。どうしてそうなったかを考えてみたかっただけで、どちらに責があるかなんて事を言いたいわけではない。
勝手に解釈して申し訳ないが、消費する人も含めエロゲに関わる人は、人から後ろ指を指されかねないという趣味を持っているという意味において、つねに被害者意識を抱えているのではないか。そういう被害者意識の強いもとで、もっと重大な被害者のことを考えよというのは、ただ重大な被害者のことを考えるのではなく、自らの被害者性の否定もリンクして同時に行わねばならないのだから、一足飛びの飛躍を強いているものとなってしまっているのではないか。本来自分が被害者なのに、加害者として自分をみなければならない・・・・・・。
そしてその点において、飛躍もせずに重大な被害者のことを考えることができる人達を、そこに自分達にはない容易性をみて、最後まで信頼することができなかった。Apemanさんに切実さを感じない人がいるのも恐らくそこに原因がある、と思う。そしてまた、NaokiTakahashiさんの「どうせ分かってもらえない」も、かつての帰還兵たちが口をつぐんでしまった事と私には少し重なって見える。彼らが日本国内の「反省」の容易性に背を向けた様(さま)に。


ではどうすればいいか、は無責任ながらそこまで考えて書いたわけではない。結局理(ことわり)以外にそんなに簡単に解があるとも思えず、むしろここには簡単な解がないのかもしれない、ということをただ示したかった。