内心=表現ではない

id:NaokiTakahashiさんに名指されていたので何か書くべきかと思っていたら、Apemanさんが圧倒的に詳しく書いていて、もう話としては殆ど終わっているような。


ともあれ私はNaokiTakahashiさんの次のような発言に反応したのです。(すいません。具体的にどのエントリかは略します。)

じゃあ脅しみたいに表現の自由に言及するのやめたら? それやってる限りこちらの態度は軟化できん。

表現の自由に手を出さず倫理の範囲でやるなら反対なんかしないさ。

倫理とかの話をするなら俺もこうは言わないよ。

ああ、これなら話が早いなあ、と。
で、それを念頭において
改めて最近のApemanさんのエントリから抜き出してみると、
表現行為に対する現状以上の法規制を主張したことは一度もない。」
「「表現の自由キリッ」を批判するのは「表現に対する法規制はできる限り回避すべき」という前提があってこそ、というのははっきりしている。」
と、ハッキリ念が押されている訳です。つまり私はこれを、自分が当初からやっているのは倫理の範囲内の事である、という事のApemanさんからの再表明である、と解釈しました。誤解があるのなら、もう一度言っておくよ、と。
NaokiTakahashiさんは、脅し「みたいに」であるとか、表現の自由に「手を出す」という曖昧な書き方をしてらっしゃるので、はっきりしませんが、そのはっきりしない所を敢えてはっきりさせれば、
・読み手のバイアスによっては、脅し「みたいに」聞こえるかもしれないが、書き手にそういう意図はない。
表現の自由にただ言及するという意味では「手を出して」いるかもしれないが、否定したり規制を主張したりといった意味では「手を出して」いない。
となります。(念のためいうと、これもあくまで私の解釈ですが。)


ここまで書けばお分かりかと思いますが、もう話、終わってますよね?
更にいうならNaokiTakahashiさんもApemanさんの所でこういう書き方をしているのです。「個人のレベルでそんな道義的責任を追及されるのは、さすがに不当に思えます。」
Apemanさんの当初の主張が法規制ではなかったことを、ご自身が分かっている。


蛇足的にいえば、「規制を主張しているように聞こえる」のは、書き手だけの問題ではありません。余りにも誤解する人が多ければ書き手の責任の比重が大きくなったり或いはその逆もあるのかもしれませんが、基本的には双方の問題であって、書き手がその意図は無いよといえば、それまでです。あとは読み手の責任。そこで読み手がそれ以上書き手の隠された意図を問題にするのは、場合によってはそれこそ人の内心にすら「手を出し」かねない行為でしょう。


以上の事柄はApemanさんのエントリの繰り返しみたいな話で、書くまでもない事だったのかもしれませんが、以下は私見です。
私は、今回の行き違いのもっとも大きな原因は、表現は内心そのものである、あるいは、表現は内心そのものをトレースしたものであるべきだ、みたいな素朴な、<表現=内心の表出>という考え方(捉え方)にあると思っています。


「被害者のことを思え」などと言われると、本当に内心でもそう思わねばならないかのように感じて、「洗脳するのか」とか「興味関心を押し付けるのか」となってしまう。そんな、ハナっから出来るわけない事を。
我々は思っていること(内心)をすべて口に出して(表現して)生活している訳ではありません。思っていても口に出さないことができるし、いいかえれば、口に出さないことで思っているかのように装うこともできます。
さらにいえば、ときに思うよりさきに口が動いたり、書くことで初めて考えがまとまったり(あるいは当初と逆の結論に導かれたりして)、という事が数多くあり、そもそも「内心」なんてものがアプリオリにあるんだろうか、なんて考えたりもするのですが、話を複雑にしかねないのでやめます。
話を戻すと、巷間よくいわれる「思え」というのは、言い換えれば「自身があたかもそう思っているかの如く他者に見えるように行為せよ」と、いう事ではないのでしょうか。私には、そうとしか解釈できません。なぜならば、洗脳などできる訳がないのですから。倫理的な範囲の話=行為がどうあるべきかの話をしているのですから。興味関心を迫っているって、いまどんな社会なんでしょうかここは。
もっと単純な言い方をすれば、NaokiTakahashiさんにおかれては、女性の人権の事など一切興味関心が無くてもいいのです。ただし、その事を表明しさえしなければ、です。
内心そうは思っていないからといって、内心女性の事など何も考えていないからって、別に口に出さなきゃならない訳ではないのです。ある内心が存在するからといって、必ず表出しなければならないなんて事があるのでしょうか。まして言うべきでない局面においておや。(それにしてもTwitterなどの、あたかも内心を時系列にトレースしたかのように表現できるツールが普及している事の弊害、という訳でもないのでしょうが・・・・・・。)
なんか余りにも当たり前のことを人に畏れ多くも言っている気がして恥ずかしいというか少し気が引けてきたので、このあたりで。


慌てて付け足しておくと、私がここで「女性の人権に一切興味関心がなくてもよい」などと言明することじたい、メタに自分の言っていることを裏切っていますから、それは議論上の仮定であると言わねばなりません。あくまで私は、女性の人権を己ができる範囲で考えて行動するべきだ、と思っている、と言い直しておきます。実際、そう思います。
しかし、私のほんとうの内心を、いったい誰が知りえるでしょう?