ある、自爆ならぬ自縛行為について

id:NaokiTakahashiさんはもう終了気配で気が引けるので、手短に。(何度もブクマで絡んだ落とし前みたいなエントリなので、流すように読んでいただければ、と。)


やはり私は、NaokiTakahashiさんの方が都合よく現実主義を持ち出している気がする。それは、たとえば、hokusyuさんに文句が言いたいがため?
NaokiTakahashiさんが最初に文句を言ったときにこんなことを書いている。

男が獣でないことは自明ではない、……と考える人が割とまだまだたくさんこの社会にはいる。

この現実主義は「男はケモノだ」とパラレルですよね?「日本の民度は高くない」=「男はケモノ」
曽野氏ら復古主義者が、(おそらくは)若い女性に文句を言いたいがために都合よく持ち出された現実と。


そして結果、曽野氏が自衛を呼びかけるがごとく、NaokiTakahashiさんも「予防拘禁めいたことを書かないようにしよう」という自衛に走ってしまっている。曽野氏が行動における自衛なら、これも言論における自衛ではないのか。hokusyu氏の「過激な」言説を、若い女性の過激な服装として扱っているのではないか。
曽野氏を批判する人を批判することで結果として相手を利するからNaokiTakahashiさんは自衛厨に重ねられるのではなく、両者が同じように都合の良い現実主義者であるから重ねられてしまう。一部の人からは、そのように指摘されているのだ、と思う。


で肝心なことは、その自衛の効果として曽野氏にとっては若い女性が「引きこもる」ことは殆ど氏の利害に影響はないと思われるのに比べ、NaokiTakahashiさんの場合はヘタすれば自分で自分の首を絞める事にもなりかねないという事。
表現者に一切自衛(自制)が必要ないとは言わないけど、具体的で差し迫った状況に押されているとも思えないなかでさえも自衛を徹底することになるとしたら、何とも息苦しい言説空間を築くことになってしまわないか。それが心配です。


そしてこれは蛇足でかつ買いかぶりなのかもしれませんが、NaokiTakahashiさんが忙しい合間においてブログにおいて書くという事は低い日本の民度を少しでも高くしようとするものではなかったのか、とも思っていました。


以上です。
表現者でもない者が上記のような事を書くのは失礼にあたるかもしれませんが、何卒ご寛容のほどを。