日本だけが悪いわけではなかった論

いつも思うことなのだが、日本が他の国より良かったり悪かったりすることが、どうしてそんなにも重大な関心事になるのだろうか。さっぱり理解できない。
別にいいではないか、と思うのだ。日本が格別悪い存在であったとしても。
そうだからといって、別に今の貴方が格別悪い存在になるわけでもない。また、過去の悪事で今の貴方までもが悪い存在だと考えるような人がいたとしたら、そのような程度の人は放っておけばいいではないか。
最悪なのは、そのような場合にそれを放っておけずに、過去の悪事を悪事でないというふうにして、今の貴方の肯定に走ることだ。
その場合は今度は貴方が放っておこうとしても、向うは決して放っておかないだろう。


というような、あくまで感想を、昨日に引き続き池田信夫blogのコメント欄の池田氏の発言を引きつつ書いていこうと思う。

小倉さんはどうも「強制連行の実態はあったのに、右翼が形式的な証拠がないのをいいことに歴史を隠蔽している」と思っておられるようですが、逆なんですよ。少なくとも私がインタビューした数十人の韓国人は、男女を問わず、だれも「強制的に引っ張られた」とは口にしなかった。

多かったのは「だまされた」とか「逃げられなかった」という訴えです。当時の炭鉱では労働者の4割が逃亡したというから、ひどい実態だったんでしょう。しかし、この場合「だました」主体は、民間の業者です。実態としても、軍の関与は労働者の輸送などにとどまります。だから私の番組は「詐欺的な強制労働を軍が支援した」と紹介したのです。

だれも擁護なんかしてませんよ。日本軍が悪いことは事実だし、監督責任はあるでしょう。しかし兵士の性欲処理施設は、英米軍にもドイツ軍にも韓国軍にもありました。その中で格別に悪質ともいえない日本軍だけを問題にするのは、ダブルスタンダードだといっているのです。この点では「戦時性暴力」をすべて告発するフェミニストのほうが一貫している。

※強調は引用者


朝日新聞の勇み足から、慰安婦問題の問題の存在そのものまで否定しようとしても難しいだろう。
「広義の強制に話をすりかえている」という非難は、逆の立場からいえば、「狭義の強制(強制連行)に話をすりかえている」という非難になるのだ。
そもそもアメリカの議会や河野談話、それに慰安婦問題を積極的に問題化している諸団体などは、狭義の強制(強制連行)のみに話を限定しているのだろうか。彼らは、それがいかなる形であれ、日本軍(間接的には日本政府)が関与した事を問題としているのではないか。
とすれば、アメリカの議会の動きや、河野談話、旧慰安婦支援団体などを否定したい人は、広義の強制をこそ否定しなければならないのだ。日本軍(日本政府)のいかなる関与も無かった、というふうな反論しかありえないのだ。
それなのに、朝日新聞の勇み足に限定して(すべての問題はここから始まった事をいいわけに)、狭義の強制しか問題化しないのであれば、話をすりかえたのは誰なんだ、という事になるだろう。


感想とはいいながら、ちょっと真面目に書いてしまったが、今日書きたかったのは、実は別のこと。
池田氏は、一個目の引用で「ひどい実態だった」と書いていて、二個目の引用では、「日本は格別悪質とはいえない」「戦時性暴力をすべて告発する〜一貫している」と書いている。
これらを論理的に考えあわせると、こうなるのである。
「日本の事を格別に悪質でなかったとはいえない程度の、つまりは同じ程度の性欲処理施設が英米にもあり、しかもそれらは日本とほぼ同程度だから、つまりひどい実態であった、と。
いったい英米のひどい実態の性欲処理施設とは、どのようなものだったんだろうか。勉強不足なので是非知りたい。(これは皮肉ではなく)


それともうひとつ。
池田氏は「英米軍にもドイツ軍にも韓国軍にもありました。」というのだが、そういう施設があった例となかった例ではどちらが多いのだろうか。ソ連軍や、国民党軍にはあったのだろうか。毛沢東の長征軍には?金日成の軍隊には?
まあ共産主義系の軍隊にそんな施設があったとは考えにくいのだが。彼らはただ勝つだけではなく革命的に勝たねばならないのだから、モラルは必要とされただろう。
でもそうでない近代国家、なかでも植民地のあったフランスや、スペイン、ファシズムのイタリアなんかはどうだったのか。是非知りたい。