アジアとの連帯について

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/511455fcb6a86af7b6b9118d517e03eaより

左翼的な言説の支柱だった国際主義のリアリティは冷戦とともに崩壊したが、彼らはそれをとりつくろうために「アジアとの連帯」を打ち出し、他国の反日運動を挑発するようになった。ネタの切れた朝日=岩波的なメディアも、「アジアへの加害者」としての日本の責任を追及するようになった。1990年代に慰安婦騒動が登場した背景には、こうした左翼のネタ切れがあったのだ。

 ※強調引用者


アジアへの加害者という議論はすでに左翼論壇では1960年代末には出ていたのではなかったか?
池田氏も読んでいる小熊英二の『民主と愛国』にはそのような記述があったと記憶しているのだが・・・。


日本人は、戦争直後は自らの生活の立て直しに追われていたが、1960年後半になりある程度復興を終え生活も幾ばくかの安定を見るようになって、他者を省みる余裕が生まれてきた、と。そこでアジアの被害者が目に入ってきた、と。ストーリーとしてはこちらのほうが自然な気がするのだが。
ともあれ、「ネタ」(しかし人の痛みをネタと書くのは引用としても気がひける)としてはすでに見出されていて、冷戦終了とそれにともなうネタ探し、なんていう作り話めいた事はないと思う。


ただ、それが冷戦終結による左翼によるネタ探しの結果でないというだけで、冷戦終結とアジアとの軋轢が目立つようになったことがリンクしているという面は、あると思う。


たとえば教科書記述が侵略か進出かで揺れたのは1980年代初頭の頃で、森村誠一731部隊本なんかも話題になっている。
この頃すでに、日本の新聞が日本の右傾化を大々的に報道それを見て近隣国が日本政府を追及、というある意味典型的な事が行われている。冷戦終了は1989年であるから、繰り返しになるが、冷戦が終了→ネタに困る→アジアはどう?という流れは時間的順序としてもうありえない。


が実際のところは、70年末よりアフガン侵略や中越紛争など左翼インターナショナルを担うべき側の自滅があり、その少し前にアメリカのベトナム撤退があり、80年代初頭すでに米ソの枠組みの変化が生じてきていないか?光州事件もこの頃ではなかったか?
冷戦終結とまでは行かないまでも、大国の存在感が少し後退していたのが80年代初頭と仮定するなら、その頃に教科書問題などが賑やかになった理由は、大国によって抑圧されてきた小国・被支配国のナショナリズムが浮上してきた、という事だろう。
けっして左翼の策動で教科書問題や慰安婦問題が起ったのではない、という事だ。
むしろ右翼の側のほうが、米ソの枠組みの変化を見て、アメリカの目、そしてアメリカの影響下にある近隣諸国の目があって言えなかったことを徐々に口にし始め、それに対しての反発が起きたという事ではないか。
(中曽根がサミットで目立つことによって選挙で大勝したりしたのもこの頃)


結論として整理するなら、アジアへの加害者責任という議論は左翼の側は冷戦終結前からずっとしていて、冷戦終結を機に持ち出したものではない。
むしろ冷戦終結とともに動いたのは右翼の側であって、その反動に抗するがために声を大にしたところが、左翼がさいきんになってアジアと言い出したという誤解につながっているのではないか、という所である。