本質的な問題をめぐって


http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/511455fcb6a86af7b6b9118d517e03eaより

にもかかわらず、大江氏と岩波書店は、それから30年以上もこの本を重版してきた。彼らの人権感覚は、どうなっているのだろうか。訴訟に対しても、彼らは「軍が命令を出したかどうかは本質的な問題ではない」とか「この訴訟は歴史に目をおおう人々が起こしたものだ」などと逃げ回っている。おわかりだろう。慰安婦について事実関係が反証されたら「強制連行は本質的な問題ではない」と論点をすりかえる朝日新聞と、岩波書店=大江氏の論法はまったく同じなのだ。


これについても前項と似たようなことが指摘できる。
先に本質的な問題にしているのは、どちらなのだ、反動勢力の側ではないのか、ということだ。


http://www.okinawatimes.co.jp/day/200703311300_01.htmlを引用しよう。

「集団自決」軍関与を否定/08年度教科書検定
文科省「断定できず」/専門家「加害責任薄める」
【東京】文部科学省は三十日、二〇〇八年度から使用される高校教科書(主に二、三年生用)の検定結果を公表した。日本史A、Bでは沖縄戦の「集団自決」について、日本軍が強制したとの記述七カ所(五社七冊)に、修正を求める検定意見が初めて付いた。文科省は「集団自決」に関して今回から、「日本軍による強制または命令は断定できない」との立場で検定意見を付することを決定。これに伴い、各出版社が関連記述を修正した結果、いずれの教科書でもこれまで日本軍による「集団自決」の強制が明記されていたが、日本軍の関与について否定する表記となった。
(中略)
今回の検定意見に至った経緯について文科省は「軍の強制は現代史の通説になっているが、当時の指揮官が民事訴訟で命令を否定する動きがある上、指揮官の直接命令は確認されていないとの学説も多く、断定的表現を避けるようにした」と説明。


文部省は、例の大江・岩波訴訟をあきらかに念頭において、検定の判断を変えているわけである。
一つの事例(ある島では命令はなかった)をもって全体(沖縄のすべての集団自決への軍の関与)を判断しようとしているのは、明らかに反動・右翼の側なんだ、という分かりやすい例がここにある。


こういうのはホロコースト否定論や、南京事件否定論でもよく見られるもの。
全体からみれば一部にすぎない事象について、整合性がつかないことが少しでも見つかると、鬼の首を取ったかのようにはしゃぎまわり、全体がなかったかのように印象付け、また無かったかのようにするやり方。
慰安婦問題でも、強制連行に議論の的を絞ることによってあたかも軍の関与もなかったかのように語られようとしている事は記憶に新しい)


このように、個別の、あるいは一部の事象をもって全体への推定を誘導し、本質的な問題の議論にまで持ち込んでいるのは、右翼の側なのである。そのようにして文部省が行ったように、歴史的評価の転覆をすら目論んでいるのだから、左翼の側が本質論で対応するのも当たり前の話だろう。逃げでも何でもない。


そもそも右翼の側も、スリカエだ、などと逃げてばかりいないで、左翼が本質論を出してきたなら本質論でやりあえばいいだろう。
住民に捕虜になるくらいなら死なねばならぬと訓示し、手榴弾を配ってまわるような事が行われていながら、それでも、いざという瞬間に命令がなかったというだけで、日本軍は悪くなかったといえるならば。