ゆがんだイメージを抱いているのは誰か?

例の意見広告を出した人のなかに花岡信昭さんという人がいて、その人がネットでいろいろと書いているのを読んだ。
これについて、ちょびっと言いたいことがあるので、中身を見てみよう。

まずここに一番首をかしげてしまうのだ。

国際社会では一方的な言説に対して、きちんと反論しておかないと、容認したものと受け止められ、ゆがんだ日本のイメージが定着してしまう。「慰安婦」「南京」「靖国」など、歴史認識をめぐるあらゆる問題に共通する課題だ。

もしそれが、一方的な言説であれば、いちいち反論などしなくとも、容認しているとは思われないだろう。花岡氏は、ある意味、国際社会をバカにしているといっても良いかもしれない。国際社会に対する警戒心だけで、信頼というものがない。
もしそれが一方的な言説ならば、誰もそんなものは信じないのだから、むしろ泰然としていればいいのではないか?


また「ゆがんだイメージ」についてもそうだ。
国際社会が、ある程度過去に属する事象から、一定の国の特性なり、様態なりについて、ゆがんだイメージなどそう簡単に抱くとは思えないのだ。
あれほど抗日の歴史について徹底して国民に植え付けている中国や韓国にしたところで、一般人のレベルで日本に対する悪感情などほとんど無いのではないか。逆にちょっと昔であれば、むしろ日本の文化に対する憧れのほうが大きかったくらいのではないか。中国で山口百恵とか大人気だったのをよく憶えている。
例えば、ナチスドイツなどは、人類史上最大と言ってよいくらいの民族差別・虐殺が行われたというのはほとんど誰もが認めていることなのだが、ドイツについていったい誰がゆがんだイメージなど抱いているだろうか?


ようするに特定の国や民族についてゆがんだイメージをすぐに抱くような人が、その自分の性向、行動原理というものを不遜にも他者にも投影し、その他者のなかで日本についてゆがんだイメージが定着しちゃう、と気を揉んでいるのではないか。
これが、たんなる勘繰りとは思えないのは、次のような発言があるからである。

これに対し、さっそく、韓国の朝鮮日報は「日本の知識人の道徳水準をさらした慰安婦広告」という評論記事を掲載した。「日本の首相、外相ら不道徳な政府関係者に、不道徳な国会議員、知識人らが加わり、犯罪の歴史を闇に葬ろうとあがいている」といった相変わらずの調子だ。

「相変わらずの調子」という言葉は、"変わらない人たち"という意味を内包していて、また"変わらない"のだからコミュニケーションもとる必要なしなのだろう。"バカは死ななきゃ直らない"という言葉を思い出す。
これこそ「ゆがんだイメージ」ではないのか。同じ人間でありながら、同じレベルで見ていないんじゃないのか。
自ら特定の国・民族に「ゆがんだイメージ」を抱いておきながら、自らについては「ゆがんだイメージ」で見られることを拒むとは、なんと虫の良い話だろう。
ゆがんだイメージを抱くような人間は、ゆがんだイメージで見られることを拒否する事はできない。