もしイメージがゆがんでいるとしたら誰のせい?

さきほどナチスドイツがあろうと、われわれはドイツ人にたいして何も含むところはない、と書いたが、もしドイツでネオナチではないけど、当時の出来事でほぼ共通認識となっていることに関して、あれこれ言い訳しだして、フランスやポーランドにたいして歴史の見直しを迫るような動きが拡大したらどうだろう。
この場合は、あるていどドイツに対するイメージは悪化してしまうかもしれない。ある程度過去に属する事象と違って、現在の動きには警戒心を抱かざるをえない、という事はあるだろう。
それと同じようなことが、今回、日本とアメリカ議会の間で起ったんではないか。


つまり何よりもまず例の意見広告が、ゆがんだイメージを抱かせるものだったのではないか、ということ。
自らゆがんだイメージを抱かせておきながら、ゆがんだイメージで見られることを拒否するなんて、笑い話だろうか、これは。


ところで、花岡氏は自ブログでこんな事を言っている。http://hanasan.iza.ne.jp/blog/entry/208764/

やはり、93年の「河野談話」がいけなかった。なんとか強制性を認めてほしいという韓国の要請に安易に従い、韓国政府を助けるための措置だったのだが、いったん、ああいう内容の公式談話を出してしまうと、これが独り歩きしてしまう。

 これも何度も繰り返さなくてはいけないが、河野衆院議長にはその国家的、歴史的責任を取ってもらわなくてはならない。

河野談話が出た時点で、日本に対するイメージがゆがんだ、なんて事があるのだろうか。もちろん無いだろう。歴史的責任など、従ってお話にならない、とまずこれを読んで感じるのだが。


あの談話が出て10年以上も経って、なぜ今になってこんな決議がなされるのか、が全く分かっていないとしか思えない。
ようするにあの談話を反故にするような動きを日本の側が広めたからこそ、談話の再確認を迫られた、ってことだろう。
もしほんとうに河野談話が広まることが日本のイメージをゆがませ、それを防ぐのが第一の目的ならば、他ならぬ日本(の右翼)こそが、その再確認をしなきゃと思わせるような行動を慎めばいいのだ。アメリカの新聞に広告など、目立つような方法は最悪な方法って事。
この先同じようなことを行えば、その都度決議なり反省を迫られ、その度に日本の悪行は世界に広まっていくというわけだ。
河野談話を否定したいのなら、アカデミックな研究を積み重ね、研究者レベルの交流から徐々に理解を積み重ねるちょっと遠回りな方法しかないのではないか。


そもそもしかし、日本のイメージがゆがませないという目的自体が疑わしい。
もし今回の決議で日本のイメージがゆがむのだとすれば、河野談話の段階で日本のイメージがゆがんでいるはず。例の意見広告を出した人たちは河野談話後、どっかで、日本のイメージがゆがんだお陰でなんかの困難を生じた事でもあるんだろうか?
国際的にいろいろあちこちで活動しているひとで、河野談話後、あきらかにその影響でイメージが悪化して困った、なんて事があるのだろうか。
ナチスへの知識とドイツ人への今の気持ちを省みるに、そんな事まったくありそうもない、と思うのだが。
結局現在の日本のイメージではなく、過去の日本および日本軍のイメージが悪化してしまう事が、自分の精神上耐えられない、ってのが主な動機なのか、と思ってしまうんだけど。


ところで、いっぽう今後このような意見広告で、日本のイメージがゆがんでしまうというのは充分ありそうなんだけど、その場合の歴史的責任は取ってくれるのかな?