世代別院を作るなら

再提言:世代別二院制 - アンカテ
こんな姥捨て山みたいな事できるわけがないので、思考実験という所なのだろうけれど、それにしては説得力を感じなかった。
ブックマークで、そんなに若者が絶望してる?と疑問の人もいたが、絶望だの不信だのがスタティックに前提とされていることが、まず実感として伝わって来ないのだ。
ある私の知る女性は、ヨメとシュウトメが対立するドラマが非常に好きだったが、彼女は現実にもそうあらねばならないといわんばかりに夫の母親が嫌っていた。そんなことを思い出してしまった。
ちょっと角度を変えて見るだけでなくなるような対立を、さも永遠に埋まらないような溝として、確固たるモノとして前提としているように映るのだ。
もしかして、メディアの好む世代論に踊らされているのではないか。
例えば、50代にルサンチマンを抱いている(とされる)若者たちって、本当に自分の父親母親嫌ってるのだろうか。抽象的な、メディアが描くような50代を嫌ってるだけじゃないのか。


次に、もっと分からないのは、「高齢者の不信」というもの。
まず、どこからどこまでが高齢者なのか。50代以上を一緒くたにしてしまっていいのか?


人間というのは(たいてい)ある時点から、年を重ねれば重ねるほど若者が好きになっていくものなのだ。
そしてそのある時点というのはおそらく、自分が決定的に若さを失って、競争相手として若者を捉えなくなる頃だろう。例えば50代前後というのは、ある部分ではまだ若いという矜持を残していたりするし、若さへの嫉妬も残る。そういうモノにとって若者は不信の対象かもしれない。自分がとっくに克服したような事を問題化したり、もう自分にはないようなアラも目立ったりする。
若者もそれに呼応するかのように、こういう世代には厳しいように見える。それは、単に彼らが現実の権力の担い手だから、という面だけではない、と思う。


そして、定年を迎え60を超えてくると、若者への不信よりも期待のほうが大きくなる。実際、シワシワになってまで若者に対して厳しくあたるような人などあまり見たことないだろう。あるいは、あなたが10代20代のころ、意味も無く知らない老人から暖かい扱いを受けたりしたことはないか?
若さがすぐそこにあるときそれは嫉妬だが、遠くにあることによって憧憬へと変わるのだ。
そういう若者に優しい世代に対しては、また若者も憎悪したりはしない。これもまた単に彼らが老いて権力を失ったことばかりが、理由ではないように思うのだ。


※身近な経験で言うと、けっこう今の若者、おじいさんおばあさん好きですよ。そして何か指針を求めたいのか知らん、彼らの言う事はけっこう妄信的に聞いたりします。


若者はおじいさんが好きでおじいさんも若者が好き。対立している(ようにみえる)のはじつは若者×おじさんだけなんじゃないのか。(おじさん×おじいさんというのも少しはあるのか?)
いずれにせよ、すぐ上の世代というのは憎まれがちだけど、そのまた上だとそんな事は全くないのだ。
むしろ若者のルサンチマンの解消手段として、意見の吸い上げ手段として、若者×おじいさんの回路をもう少し太くすることが有効なのではないか。
そこでどうせ思考実験、私ならこう提言する。65歳以上の者だけが立候補できる高齢院を作るべきだ、と。