論争という機会

まずはこれ。
http://d.hatena.ne.jp/yellowbell/20071003
まず気になったのは、最後のところ。

「いい大人が、アニメやゲームやフィギュアになぜあんなに熱中するものか、わからない」というような、理性の皮を被ったオタク叩きの記事を見るにつけ、私は思います。

 

「本当はわかってるくせに。そんなことわかりたくもないと思ってるってこと」

なんかこれが逆に、アニメやゲームやフィギュアはきちんと分かろうとすれば理解できるものだ、と言ってるように聞こえてくるのだ(実際にはそうではなくても)。
個人的に言わせていただくと、ゲームはともかく、アニメやフィギュアそれほどのモノか、というのがひとつ。


また、たしかに「分からない」というとき、侮蔑感情が伴うことは確かだろう。(たとえば私が民放のテレビ番組など見るのは分からないなどと言うとき。)
そしてそういう会話は、ある程度話せる間柄の人間に対してだけであって、多くの場合論争にはならない。「私はいいと思ってるからそれでいいでしょ」と返されて終わりである。で、あえてそれ以上説明を求めようとは思わない。それは、たいていの場合、それがどんなものか親しい場合凡そ分かってるからでもある。
一方それほど親しくない間柄の人にたいしては、直截的に「分からない」とは言わない。苦手な話題になっても、「縁がなくて」とかそういう言葉で踏み込まないようにする。これも論争にならない。
あるいは場合によっては社交辞令的に、ほとんど知らないくせに「あ、良いですよね、分かる分かる」とか言われることもあるかもしれない。むかし仕事上のつきあいで飲みにいって、酩酊して趣味をバラす気になったのか憶えてないがストーンズが好きだと言ったことがあって、「あいいですね、私もファンですよ」と返す人がいた。で、ビートルズ好きは数多く出会ったがストーンズなんて初めてかもと喜んで「やっぱミックの声がいいんですよね」と言ったら、その人に「ミックって誰?」と言われたことがある。
ほとんど知らないくせに「分かる分かる」と言う人と、知りたくもないくせに?「教えて教えて」と言う人と、どちらを選ぶかというとちょっと迷うところである。


このエントリの作者のように、説明、論争が多くある人って結構少ないのではないか、と思う。
そしてそういう機会は、後から考えればというだけかもしれないが、自分がその分野の魅力に関してどう考えているのか、それがさらにクリアになるいい機会だとも思うのだが、どうなんだろうか。
もちろん場合によりけりだけれども。


10/19追記
yellowbellさんよりわざわざブクマにてコメントをいただいた。ちょっと言い訳しておこうと思う。

yellowbell : こちらのエントリの方と私は親しい間柄ではないが、すでに「アニメやフィギュアそれほどのモノか」と価値観への疑義を提示されている。「それほどのモノか」が素朴な疑問なのか反語なのか、そこが拙文の主意だ。

・たしかに「分からない」は殆どの場合、反語だと思います。
・したがって私が書いたのは、yellowbellさんへの異論ではありません。(「分からない」と言明する人が一様に理解されかねないこと、に対する違和感のようなものです。)
・ちなみに「アニメやフィギュアそれほどのモノか」というのは、私がそれらを「分からない」ということではなくて、それらを「分からない」という人が相当いるのは理解できるということです。それは、アニメやフィギュアは、例えばDSソフトのように万人向けとは私には思えないという事でもあり、したがって、さしたる悪意もなく「分からない」という人がいるのも無理もないだろう、となります。(むろん、この場合でも多くの場合「反語」でしょう。)