作家たるもの・・・

なんともシツコイのだが。


今日は、
「作家たるもの、読まないで批判するようなマナー違反にも耐えなくちゃならない。何も言及されないよりマシだし、そのくらいの事に耐えるくらいの強さを持つべきだ。」
という言い草について思ったことを書く。


具体的に誰かどこかでそう言った、というほどの話ではない。
そう言いたげの人はいたが、どこで遭遇したかは忘れてしまった。
だから個人攻撃をするわけでなく、いつものごとく今時点での自分の考えを整理・記録するために書くのである。


で、結論からいうと、作家でもない者が作家の倫理など勝手に云々できる筈もなく、上記のような言い方はなんとも不遜な言い方であるという事になる。
芥川とか漱石が言うのならまだしも、そこらの匿名一般人が言っても、何か勘違いしている人に対して以外は全く説得力ありませんので。


「F1ドライバーたるものあんな早いところでブレーキ踏んでるようじゃダメ」
というのはナイジェル・マンセルが言うのなら何も文句はない。
けど富士のワンメイクでも優勝したことがないような人が言ったらどうか?


「ボクサーたるものロープを背負ってもひるまず隙をさがせ」
というのはマービン・ハグラーが言うのなら何も文句はない。
けど4回戦で早くも負け数が上回ってしまうような人が言ったらどうか?


「格闘家たるもの2度同じ選手に同じ手で負けてはならない」
というのは船木誠勝が言うのなら何も文句はない。
けど格闘技通信を毎号コンビニで買ってるだけの人が言ったらどうか?


と、ここまで書いて思ったのだが、同じプロの仕事でも受け手がいてはじめて成立するようなものに関しては、その受け手に対する振る舞いについては、受け手がどうこう言うことは許されるよな、と。
(例:横綱たるもの土俵の外でも云々)
でも作家がマナー違反に耐えるというのは作家の振る舞いとして当然に要求されることではないよな。作家に要求されるのは、読んで為になったり楽しかったりする良書を書くことだけで、そこさえクリアすればいいわけだし。


と、ここまで書いて思ったのだが、「政治家たるもの云々」と語って重みのある、説得力のある事を言える現政治家や元政治家、評論家が俄かに思い浮かばないことだ。


※このエントリの内容は流動的です