団塊世代批判があまりにも多くはないけど時折ある件

世代間闘争論、あるいは団塊の世代の精神的病理について - 代替案のための弁証法的空間 Dialectical Space for Alternativesを読んでの感想。
おそらく、あるブロガーの方とは全く正反対の評価になると思う。また、具体的な提言なども書くつもりもないから、総じて印象論にすぎない、と言われるのは覚悟している。
そもそも世代間論争などというものに私は余り信を置いていない。自分がその世代に属したらどう行動したであろうかなんて分かるはずもないのに、良くそんなに悪し様に言えると感心する。分かりやすくいえば、自分がもし昭和10年頃に青年であったならば反戦だったみたいな言い方をする戦争批判者がいれば、どう感じるかという事だ。
なんと身勝手で都合の良いことだ、と思うだろう。しかし、全共闘批判で似たようなことが行われていても、それほど目くじら立てられる事がない。不思議なことである。
ここで勝手な事を言わせてもらえば、今、”ロストジェネレーション”の一員であると感じたり、また、一員でなくても味方と感じて積極的にその世代の代表であるかのような発言をする者は、1960年代に大学生であれば、まずヘルメットかぶって先頭に立ってビラを配ったりマイクを握っていただろう、という事だ。世の中を変えていこうとする潮流の先頭に立って発言するという意味では両者は殆ど変わらない。全共闘ネットウヨの類似を言う人もいるが、ネットウヨだって世の中を変えようとしていることに違いはない。
自分が例え生まれてなくても、あの時代に生きていたら警官隊と殴り合っていたかもしれないぐらいの謙虚さはあっても良いのではと思うのだが、それを言うと、ネットウヨが良く言う「過去を断罪するな」という言葉を思い出す。「お前らサヨクだってあの時代に生きてたら真珠湾大勝利バンザイとかやっていたんだぜ」と。
じつはそんなのカンケーネーとばかり過去へのしがらみを捨て過去を断罪し始めたところに全共闘の新しさはあったのだが、そういう意味でも昨今の全共闘批判の多くは全共闘に似ている。
また、「Don't Trust Over 30」(30歳代以上を信じるな)という言葉が流行ったのはまさしく全共闘真っ只中のこと。これもまた似ていないだろうか?昨今の団塊世代批判に。年上の者を、持てる者も持たざる者もレッテルを貼って切り捨てるやり方に。そして、このように世代を離反させるやり方は、すくなくとも全共闘のときには失敗している。


ところでこういう全共闘からみる団塊世代論に関してはkanoseさんのあまりにも正しい指摘でもう終わってるのかもしれないが、私なりに具体的な?点を挙げていく。

バブルに踊らされたのは団塊の世代の人々であり、ロスジェネ世代の人々には何の責任もないこと。それなのにバブル崩壊の被害をロスジェネ世代が一身に背負っていること。

「新人類相場」と言う言葉も忘れ去られたんだなあ、と思う。バブルに踊らされた団塊の世代もいるかもしれないが、当時「新人類」と言われたバブルで踊った人々がすっかり忘れらされている。彼らは団塊世代以降の人たちだ。団塊の世代の倹約体質を非難し、好景気が永遠に続くと宣伝し、ニューアカの本を片手に大学をカジュアルスポーツのサークル活動の場所に変えた人々のことを。彼らに責任があるとは言わないが、彼らのことを差し置いて団塊に責任があるなどと言う気はもっと無い。(むしろ責任を言うなら、その後のバブルのハードランディングな処理こそが問題だったと言うべきなのだが、これだってバブルで必要以上に踊った連中のおかげで冷静な処理ができなかったと、責任をなすりつける事もできる。あまり意味ないが。)


信州大学全共闘で破壊活動ばかりしていた猪瀬直樹が、小泉政権による日本破壊政策の片棒を担いだのは、象徴的なことだったと思います。

過去のことになると何でも言えてしまう良い例だが、それ以上の混乱が見られる。一体いつから小泉政権団塊の利益を代表するということになったのか。普通にいって、反団塊ではなかったかと思うのだが。なぜかここでは、小泉=猪瀬直樹全共闘団塊世代ということになっていて、団塊の世代が日本を破壊したことになっている。
小泉政権が破壊の目標としたのは「抵抗勢力」であり、何より戦後団塊の世代が築いてきた既得権益ではなかったのか? しかも、郵政選挙が象徴的だが、郵便局という既得権益の破壊を支持し、チルドレンなる若い候補を支持したのは他ならぬ20代、30代のロスジェネの連中ではなかったのか
全く、こんな最近の過去を忘れてしまうようで、よくも全共闘など批判できるものだ、と言わずにいられない。
ちなみに猪瀬直樹全共闘なら小泉政策に批判的な森田実だって加藤紘一だって全共闘だし、社民や民主党などの左系にはもっと沢山そういう人がいるだろう。


あなたたちが社会人になった70年代は、頑張ればどうにかなる時代だったのですよ。個人の力でも何でもない。90年代には個人の力で頑張ってもどうにもならなようない社会構造ができあがってしまったのです。派遣労働の自由化などによって。

その「頑張ればどうにかなる時代」=70年代というのは派遣労働の自由化がなされた当時どれほど言われていたのだろうか。私の印象ではむしろ逆で、世間的により言われたのは「頑張らなくてもどうにかなれた時代」=70年代だろう。そのようにして福祉政策や役人天国労働組合が批判され、年功序列や終身雇用が否定されたのではなかったか。小泉竹中らによって。そしてそれにも若い連中は支持を与えたはずだ。だいたい団塊の世代にとって良かった時代を、団塊の世代が守るならまだしも、自ら積極的に壊す理由など無いだろう
そして90年代に個人でどうにもならないような社会構造にしたのは、何もしなくても生きていけると思い込んだバブル世代がその時代を通じて全く動こうとしなかった事にだって責任がないとは言えないだろう。全共闘は確かに身勝手だったかもしれないが、それでも時の政権に異議を唱える勢力があるというのは一定の抑制を働かせる面はあったに違いない。だがバブル以降の若者には何一つ無かったのだ。


全共闘の人々が犯罪的だと思うのは、彼らがバカげた運動をしたせいで、その後の日本人の大多数が社会運動そのものに決定的にネガティブなイメージを持つようになってしまったこと。そして民衆が歴史を動かすという具体的イメージを日本社会が失ってしまったことです。学生運動が実際に社会を動かしてきたフランスや韓国などの活力比べて、日本がここまで硬直してどうしようもなくなっているのも一重に全共闘運動の責任だと思うのです。

そもそも全共闘は未来の社会運動のことなど全く考えていない。そういう未来のために今を我慢する旧来の左翼運動に欺瞞を感じたのが新左翼だからだ。彼らは、今、ここ、を動かすためにやっていたわけであって、そこから生じた彼らの意図しなかった結果にかんして責任を問うても仕方あるまい。彼らが後の社会運動の衰退を意図していたか、注意していれば予見できたのなら話が違う。だが、全共闘が盛んなときに全共闘内部はもちろん、全共闘外部からそんな未来に関する指摘があったのだろうか。
たしかに浅間山荘などで一般人の左翼にたいする偏見は強まったが、それをもって全共闘のせいにしてグチを並べて左翼的な運動が成功しない事の言い訳にするのもどうか。全共闘後の運動の責任は他でもない、全共闘後の運動を行うものが負うべきなのだ。70年代後半になって左翼運動が退潮したのは、何より物量がそれなりに世の中に行き渡ってきたからであろう。したがって、それをきちんと認識し大衆の欲望がどの辺にあるのかを上手く読み取れなかった現場左翼こそが左翼退潮の責任者であり、過去の運動のせいにばかりするのは虫の良い話だ。
ちなみに、欲望(というか必要というか)があるところにはきちんと運動は発生していて、社会運動全般が日本でダメになったわけでない。逗子の市民運動とか、田中知事の勝手連とか、あるいはこれは政治色が薄いが自然保護運動とか、いわゆる草の根的な運動はしっかり行われてきている。