便利になったというだけのこと

「現実異性の代用品」を超えはじめた、二次元美少女達 - シロクマの屑籠に関して。


平たくいえば、そういう混同は昔からあったわけで。
例えば中学生くらいのとき、まわりに自分の好きなアイドルはウンコをしないと信じているような奴が男子でも女子でもいたし、少女マンガばかり読んでいる女子なんかは現実の男子を汚らわしいものをみるような目つきで見て接してきたし(私が汚かっただけかもしれないが)、実際の男子とあまり口を訊こうとはしなかった。


男子同士であれば、ウンコしないなどと本気で言ってるのかよという感じで、そういう奴にたいしては、周りの仲間も「バカじゃないの」と罵倒したもんだし、女子の場合は同調圧力がそこそこあるから、もう高校生くらいになると現実が勝ってきたりする。
まあ、たいした問題ではなかった、と。


そういう周りからの3次元への圧力というか規範が薄まってきてるのはあるだろう。
で、なぜ規範が薄まってきているかというと、そういう規範がなくてもやっていけるくらい世の中が便利になったからで、単純にその反映にすぎない。ある程度個人が社会化しなくてもやっていけるほど利便度があがったので、自分も社会化されたくないから、貴方にも社会化を求めないというふうに規範は弱くなっていく。(おたくの人たちが「おたく」という相互不可侵な言葉使いをするのはそのせいだ。)


また2次元の純粋さの度合いだって、受け手の問題でもある。子どもたちにとってヒーローにはノイズなんて殆どないという事は昔からちっとも変わらない。社会化されていない人間は都合の良いふうに見ようとする。(それが可能だから。大人が許すことによって。幼稚園児にサンタなんていないと説明する無粋な大人はいない。)
また、2次元の質がいくら高くなろうと、それによってやっぱ2次元がいいという頭が作られるわけでもない。個人が社会化されるか否かというのは一方通行的であって、いったりきたりするものでもない。例えば、昔に比べてアイドルの質がいくら上がろうと、40歳になってやっぱりアイドルはウンコしないんじゃないか、と疑い始めるなんて事はまず間違いなく無い。相変わらずやっぱ受け手の問題なのだ。


で、2次元の質が上がったせいで、受取る側の社会化(成長)が昔から比べて遅れる可能性はあるだろうか。
今のところ、あるとも言えるしないとも言えるし、あると言ったところで、その影響度なんてのは、世の中の利便性の度合いとその変化から比べれば、全く微々たるものだろうと思う。
世の中がもっと不便であれば、2次元アニメの質がどんなに高かろうと、早くにそれから卒業せざるを得ない世の中であることだろう。


つまりはこれらの事は、「3次元なんて必要ない」なんて、自分ひとりが築いたわけでも無い便利の上にあぐらをかいて傲慢なことを言ってる人も、大怪我したり病気したり、自分のあるいは親の会社が倒産でもしてちょっと不便になれば根底から認識が変わってしまうような事で、ただ、そうならなければ分からないくらいだとすれば、これも世の中の流れさと諦観してばかりも居られないだろう。
かつて中学生のときに、ウンコしないなんてバカじゃないの、と仲間の一人を罵倒したような態度は、これからも全然あってよいと思われる。それこそむしろ罵倒相手を仲間と認める敬意のある行動でもある。