責任転嫁はとまらない

先日の言及したブログがさらに酷くなっていた。(〜「南京大虐殺」30万人説について〜from数学屋のメガネ
少し当方の反応が遅れたし、コメントにもほとんど回答していないようなブログを相手にするのは、暇だと思われるのは必定だろうが、また言及しておく。


なぜならば、いかにも修正主義者のような外観ならまだしも、数理学を学んでますみたいな人にこういう事を言われたくないのだ。ウィトゲンシュタインの名前を口にするような人にこういう事はいわれたくない。
数理学とか、そういう文言に多くの人は弱いからである。いわれてる事が、まるでもっともらしいように見えてしまうのだ。全然もっともらしくなくても。


以下斜体字が数学屋氏の主張

南京事件に関連して、虐殺された人の数が30万人だというのは、その数字の出し方も曖昧にされているし荒唐無稽な「白髪三千条」という比喩的な意味しか持たない、

・・・・・「白髪三千条」という中国人に対する揶揄的表現、偏見をなんのためらいも注釈も無く使えてしまう無神経さ。
正確には白髪三千丈なのでWikipediaを見て欲しいが、中国人を対象にした不真面目な表現であることはきちんと書かれている。
このような言葉が使われて違和のない環境に数学屋氏はいるのだろうか。
それにしても、書き出しから数学屋氏の眼鏡が色メガネではないか、と感じさせるような内容で、分かり易いといえば分かり易い。


僕が主張しているのは、南京攻略戦で結果的に死んだ人の数が30万人いたかどうかということではないのだ。死んだ人の中に、虐殺されたと考えられる人が30万人いたかどうかという問題なのである。

・・・・・数字の問題をまず第一に考えているのを自ら告白。よほど30万人という数字には拘りがあるのだろう。


「虐殺」という言葉の概念そのものが客観的に確定されないのに、30万人という数字が確定すると考えること自体に論理的な無理がある。それだけでも論理的な問題は明らかなのだが、これが論理の問題ではなくどうしてもデータの問題であると言いたい人もいるようだ。

・・・・・客観的に確定されない?
数学屋氏は03月16日の〜「南京大虐殺」はあったのか?〜において、次のように自ら確定していたのではないか。

虐殺者というものを、戦闘行為終了後に、正当な手続きなしに処刑あるいは、犯罪行為の末に殺された人々と定義するなら、30万人という数が多すぎる数であり、論理的にはありえないという結論にならざるを得ないだろう。

逆にいえば、「虐殺」という言葉の概念が客観的に確定され、そしてその内容が広義に認められれば、30万人という数字が確定される可能性もあるという事である。少なくとも論理的には。
しかし、数学屋氏は自ら、狭義に「虐殺」の概念を確定しつつ、その概念が論理的に30万人を可能にするかもしれない重大なものであると自ら語っているくせに、自らの概念を少しも詳細に検討しようとはしない。
むろん、数学屋氏の「虐殺」の概念に対する青狐氏の論理的な疑念についても答えようとしない。
そして一方的にデータの話に移行していく。
「虐殺」の定義がどんなもので確定しようと、肝心のデータに照らし合わせなければ数字など確定することは不可能なのだから、いずれデータの話はしなければならないのだが、数学屋氏は仕方ないから相手に合わせてデータの方も見てみますか、という調子。


そこで30万人説を詳しく検討するには、中国がどのような主張をしているかを知らなければならないのだが、これがなかなか難しい。僕は中国語が読めないし、中国の主張を正しく伝える翻訳の存在も今のところわからない。

これからいろいろと手を尽くして資料を探してみようと思うが、もし資料が見つからないようなら、その見つからないということにまた、30万人説の「蓋然性」がないということが示されていると僕は感じる。

・・・・・現時点でデータがないのなら、調べてからまたエントリしようと思う、で済むのだが、いきなり陰謀論的な主張が出てくる。
「虐殺」の定義づけについても、データの話についても、自らへの批判者に対して何も返答しない状態で、さらに「蓋然性」を否定する別の根拠を持ち出そうとしているわけである。
これが、すごい根拠(らしいもの)なのだ。


右翼的な言説であれば国家権力が絡んできたりするので、嘘でも宣伝に利用するということがある。しかし左翼的な反権力の陣営は、嘘の宣伝は致命的なダメージをこうむる。30万人説に「蓋然性」があるのなら、その資料が見つからないということがおかしい。

・・・・・よく言ってることが分からないが、次のような事をいいたいのだろうか。
『右翼的な言説であれば嘘と分かっていて出される場合もあるから資料(データ)が見つからなくてもおかしくない。
左翼的な言説であれば自ら嘘を言うはずがなく本当の事を述べようとしているはずだから、資料の裏づけがあるはずだ。
もし資料の裏づけがないのであれば、蓋然性がない。』


これは、まったく論理的に厳密さを欠く議論だ。
だいいち資料の裏付けがない言説であればそれは保留されてしまうのは、左翼的だろうが右翼的であろうが変わるはずはない。どうして左翼の側のハードルだけ高くして、その蓋然性を云々されねばならないのだろう。
資料の裏づけが無いのであれば、「左翼だって自らそうと分かっていて嘘を言う場合もある」とか、「じつはあれは左翼的な言説ではない」と、と結論付けていいではないか、普通そうだろう。と、思うのだが、予め、左翼とはこんなもの右翼とはこんなもの、という事を、事実とはいっさい関係なく論理的に確定しているらしい人は、そうではないようだ。
結論をいうと、「左翼的な言説であれば資料の裏づけがあるはず」という前提から「資料がみつからない」という結果がでてきた場合、その左翼的言説の内容の蓋然性が云々されるのはおかしいのだ。云々すべき蓋然性は前提に対するものであるべきで、「左翼的な言説であれば自ら嘘を言うはずがなく本当の事を述べようとしているはず」という事の蓋然性が低いという話に過ぎないのだ。
「左翼的言説にはそもそも裏づけのあるものと無いものがある」とでも仮定すれば済むことで、余談だが、実際の歴史をいえば、いわゆる左翼的反権力の側だって、さんざん宣伝を行ってきたのだ。
彼らにとっては、革命という正義の前には、「事実」さえも従わせるべきものなのだから。
左翼の機関紙などでは、実際には閑散としていた集会が熱気に溢れており、小競り合いに過ぎないのが徹底的な粉砕によりクモの子を散らすように敗走した、となったりするのだ。(こんなことは人文系の世界では常識だろうが。)


日本の国家権力が、その資料が出てくるのを邪魔しているとは考えにくい。

・・・・・この陰謀論的な発想が文章として表出しているのがスゴイが、まあ、民主主義国家にとって、そんな邪魔をしたことが分かれば致命的なダメージでしょうからね。
致命的なダメージという点では、左翼が嘘を言う以上に致命的なダメージだけども、だとすれば、それで国家権力が言うことが左翼の言うことより蓋然性が高いという事になるのだろうか?
すごく単純化された危険な判断になるだろうなあ、という事は想像つくけれども。


むしろ、そのような資料が出てくれば、思う存分たたくことが出来るので、右翼的には歓迎するところだろう。

・・・・・何故なのかさっぱり分からないが、いきなりここで、左翼の側が裏づけとする資料がすでにデタラメである事が前提となって語られ始める。???である。
とりあえず、左翼の側にとっては、右翼が歓迎までしてしまうようなようなデタラメな資料(データ)を出すことは、致命的なダメージにつながりかねない事だとは思わなかったらしい。もしそれが致命的なダメージだとすれば、左翼がそんな事をする蓋然性は低くなるのかな。
だとすれば、数学屋さんが、資料を見つけられないときの良い言い訳になるだろう。(でもアイリスチャンの例から言うとそんな事はなさそうだから、是非しっかり探して欲しいものだ。)


何度も書いてきたことだが、南京事件の問題を数字の議論にするのは、反動勢力側にとって有利に働くだけだ。なぜなら、確定の出来ない議論になるからだ。確定できない議論というのは、結局は確かなことは何もいえないのだという「不可知論」的な結論に落ち着く。そうすれば、南京事件を少しでも小さなものにしたい側にとっては非常に有利になる。

・・・・・私はそんなに何度も書いているわけではないが、南京事件を数字の議論にしたり、議論をちっとも確定させようとしていないのは、いったい誰なんだ。どう考えても、それは数学屋氏本人だろう。
人様の動向を懸念するふりをしないで欲しいものだ。その人様というのは、数学屋氏本人なんだから。
自らのバックラッシュぶりをまず懸念したらいい。


30万人説が荒唐無稽な主張だということがはっきりして、日本でも中国でも、国家のイデオロギーに左右されない民衆の間での客観性を持った認識が共有できる時代がくることがもっとも望ましいことだろうと思う。30万人説は、中国が自国民のナショナリズムを刺激するために利用できる国家権力にとってのトリックに満ちた言説だと思う。

30万人説のトリックの存在が見つけられるような資料を探したいと思う。中国が、どのような根拠で30万人説を主張しているのか、その正確な資料を求めたいと思う。

・・・・・探す前からトリックだと前提にしているのが、すごい締めくくりだ、と思わざるを得ないけど、そんなケンカ腰な態度で中国の人たちと客観性をもった認識が共有できるわけないじゃないか。
もっとも、そんな事は言われなくても分かっているか。
どうせ共有などしたくないのだろうし、こんな美辞麗句は、ただ言い訳的に書いているだけとしか思えないものなあ。これまでの文章からして。