北朝鮮の影響アリ?

ところで、日本において左翼が退潮した遠因のひとつとして、拉致問題が明らかになったこと、が挙げられるときがある。
連合赤軍などの時とちがい、現実の左翼勢力が拉致が明らかになってショックを受け退潮したなんてことはないだろう。日本共産党にしろ、新左翼の殆どの党派にしろ、北朝鮮など唾棄すべきスターリニズムそのものという認識だったと思うし。
ただ社会党の過去を主として、「左翼のウソ」という意味ではいちばん分かりやすい例であって、若者が右傾化することにいくらか影響があった可能性はある。左翼などもともと退潮気味だったし、拉致問題が明らかになったときに起きたのは、無党派的な層が反左翼感を強めたという事ではないか。


そして「拉致」が日本において問題となって以降、明らかに日本のテレビにおいて、日常のニュースなどで北朝鮮の現状などが語られる事が増えた。
ああいう(極端な)例を常日頃から見続けることによって、政治に関して、単純な支配・被支配の関係を見たくなってしまう、あるいは、政府が大衆をコントロールすることが簡単であると思ってしまう、そういう事は全くないと言えるだろうか。


北朝鮮についてはともかく、ナチスにしろ、大日本帝国にしろ、政府がマスコミをコントロールしていたことは確かである。
ただそれだけではない。一方において大衆がコントロールを欲していた事についての方を、むしろ考察すべきではないのか。火に油を注ぐという事に例えれば、火を起こすのは大衆であってマスコミではない、マスコミは油にすぎない、と私は思う。ナチスの台頭にはきちんとした背景があって、ヒトラーの意思だけではないという事。
そしてその大衆が火をつけるようになるには、それこそ教育の影響も微々としてあるだろうし、マスコミの論調も影響を与えるだろうが、テレビや読書などの日常的な娯楽と思われるものだって影響していないとは言えない。
例えば、テレビなどない大日本帝国のころの文学などは、学問教養でもあったが、娯楽という側面もあったはず。
ひとつ言えるのは、単一で直接的で短期的な原因によって大衆の方向性が決まることなど殆どないんじゃないか、と思われる事。
この事もコントロールのし辛さに繋がる。一般的な国会議員・首長の任期からして、自分の思ったふうに大衆をコントロールすることなどまず不可能ではないか、と私は考える。