ここまで言うか

これについて。
格差社会って何だろう - 内田樹の研究室
例によって沢山ブックマークされていると覗きたくなるわけで、しかし内田樹というひとはここまで言う人だったのか。
分かってる人は今さら驚かないんだろうけど、ネットウヨとケンカしてるイメージだったので、かなり幻滅。
ただの精神論ではないのかこれは。食べ物をくれ、と彷徨ってる日本兵に、日本人たれ、と訓示を垂れるようなものに思えてしまうんだが。


まず言っておきたいのが、内田氏はいったい誰を難じているのか、ということ。内田氏は言う。

私自身は人間の社会的価値を考量するときに、その人の年収を基準にとる習慣がない。

戦後民主主義者らしい立派な言葉だが、それは皆一緒じゃないか、と思う。年収を基準に人間の社会的価値を決めているヒトなんて、いったいどこにいるのだろう。稀にいるかもしれないが圧倒的に少数のはずだ。
もっといえば、むしろ中層〜下層の人こそ"人間の価値にとって年収など基準にすべきではない"と考えているだろう。
なぜなら、年収の少ない人はそのようにして、自己への肯定否定のバランスを取らざるを得ないからである。年収の少ない者にとって、年収によって価値が決められてしまう事は我慢ならないだろう。


※ところでこれは勘ぐりになるが、ほんとうに下層の人との付き合いがあれば、カネカネと血眼になってる人などいないから、こんな文章にならないはずで、むしろ内田氏のいる社会(アカデミズムやジャーナリズム)の方こそ、年収だの、また、学歴だの家柄だので判断する人間が多いのではないか? そうだからこそ、一般社会の中には殆どいないような敵が仮想できちゃうんじゃないか、と言ってみたくなる。


ビートルズからマスターカードのCMに至るまで、ずっと"お金じゃないんだ人間は"という事は言われてきた。ベストセラーである村上春樹の小説だって、金を得てそれなりの地位を得た人物の虚無はよく描かれる主題だ。
愛があればなんとかなる、と言われてきた。学校でもそう教育され、仲間内でも金でなんとかしようなんて奴は嫌われたはずだ。
「金ではない」
それは、ごくありふれた、当たり前の、刻み込まれた言説なのだ。
むしろそのような事が当たり前とされているからこそ、中にはお金に対する配慮が足らず、夢を無邪気に追う人間を作り出し、気が付いてみればにっちもさっちも行かなくなってた、というのが昨今なんじゃないのか。
したがって内田氏の次のような考えは間違っている。

人々が人間の価値について、それぞれ自分なりの度量衡をもち、それにもとづいて他者を評価し、自己を律するならば、「格差社会」などというものは存在しなくなるだろう。

人々はずっと前から、自分なりの評価軸で人を判断してきた。内田氏のように「何を学べるか」という確固たる基準で人を「格付け」する所まではしなかったにせよ、「カネ」で判断してこなかったのは間違いないだろう。それなのに、「格差社会」は、そのなかから現れたのである。


とにかく「金のことをつねに最優先に配慮する人間」などどこにも(殆ど)いないんだ、という事を知って欲しい。


また、「もっと金を」というのは、拝金主義だからでも金全能主義だから言うのではない、という事も。
例えば、内田氏の次のような指摘も間違っているとしか思えない。

私は刻下の「格差社会」なるものの不幸のかなりは「金の全能性」に対する人々の過大な信憑がもたらしていると思う。


むしろ不幸のある部分は、「金の全能性」に対する人々の過大な信憑の無さ、がもたらしているのではないか、と思う。(ある種蔑視になってしまうので、ある部分とした。ちょっとしたチャンスや運に見放されて、不幸になってしまった人も沢山いると思うから。)
つまり不幸に、にっちもさっちも行かなくなってしまった原因のひとつに、金がなくてもなんとかなるさ、という甘さが無かったかどうか、という事である。
最初から拝金主義者や守銭奴ばかりの世の中であれば、こんな風にならなかったのではないか、と思う事も多いのだ。
ぶっちゃけた話、はじめっから「金の全能性」を信じていればそんなに酷く貧乏にはならないだろう、という。
少ない収入でも計画的に、少しづつ貯められるチャンスがあったのではないか。(まったくノーチャンスだったという人には申し訳ない。ノーチャンスの人の問題も考えねばならない事は言うまでもない。)


拝金主義になれとは言わないまでも、多くの人に、カネというものはバカに出来ないんだよ、我々の人生をときに大きく左右するものなんだよ、という観念の、そのまた触りだけでも会得してもらったほうが、少なくとも即効性的にはいいのではないか。
つまり今まで何の疑義も無く流通してきた当たり前の言説と、逆の事、アンチテーゼを言うべきなのではないか。学校ではなかなかそこまでは言えないだろうし、言うものでもないかもしれないが。あくまでアンチでしかない、という面はあるし。


ちなみにそれで競争が激化するかどうか、は分からない。そこまでシミュレートする能力は私にはない。
ただ、激化したとしても敗者に何もやらないような社会は、社会政策的に是正されるべきだろうし、是正しなければ、勝者の位置だって怪しくなるだろう。
ただ、一国だけでどうこうするのが非常に難しくなってはいるという別の難しさはあるんだよなあ。