中核派との関連云々

何のアニメの影響か良くわからないが(押井守?)、かつての過激派の運動をロマンチックに捉える若い人たちがそこそこいるのは知っていた。
で思うのは、そういう若い人たちゲバ棒にヘルかぶってタオルというような格好をして、またそういう人たちとデモだの集会だの一緒に行動できちゃう人たちが多くいるということは、新左翼的なものが完全に死んでしまった、ということではないのか、ということ。(これはミリタリールックがかつて流行ったときの吉本隆明の理屈と一緒)
つまり、そういう新左翼的格好をしていればこそ、逆に、その当人や周りの人々が、新左翼となんか繋がっていない証明になる、というふうに思うのだが、どうなんだろうか。
逆に、新左翼が本当に「入って」くるとすれば、ごく普通の格好でそれとは分からないような団体名で接してくる、と常識的には思われるのですが。しかも中枢につながるような人はまず出てこない。


それにしたって、昨今の中核派がどれほど恐いものなのか、というのも疑問。(と書くと顰蹙かもしれないけど、あえて。まあ感想ですから。)
このへんの大衆路線的新左翼は、ブントもそうだけど、けっこう穏健化してなかったか?
そもそも、関東の学生組織の象徴的拠点も奪われ、組織存亡の危機も噂される中核派が、ネットでの活動をメインとするようなアシのつきやすい人たちをそそのかしたりして何かを起こすなんて事は、まず考えられないところ。家宅捜索につながるようなことはどんな些細な事でももう出来るだけしたくないはずで、対革マル対民青でさえほとんど最近は衝突していない中核派が、ネトウヨ的な小市民に対してどうこうしようなんて事はまず無いのではないか。


新左翼としてはクロカン亡き後の早稲田系のところとか、最近までもっとも先鋭化していたらしい明治系のところなら警戒するのも分かる気もするのだけど、まあ、そういう所は逆にまず近寄って来ないでしょうし。