麻生の「派閥談合」だの「密室政治」だのの批判は、なんか古臭い。

昔の三角大福の頃のような激しい権力争いをすべきだ、みたいな人もいるようだけど、自民党が大きな政党で派閥が「党内の党」みたいな時代はもうとうに過ぎ去っているわけで。
そんな権力争いを繰り広げて勝利したところで自分たちの派閥だけでいい思いができるほど大所帯ではなくなったという事。それに第二党への転落が現実問題になれば、そりゃ自然と団結したくはなるんじゃないかな?危機なんだからね。
それよりも、今より自民党が危機的とは思えなかった頃に早々と安倍総理を決めてしまったときの付和雷同ぶりは、今回よりもむしろ政策的な裏づけに乏しかった気がするんだが、それは批判してたんだろうか。麻生氏は。


9/19追記 
当時の記事を読むと麻生氏は今回と同じようにきちんと批判していたようだ。中途半端な書き方をしてしまい反省。
ちなみにいちばん分かり易く付和雷同したのは政策的にあまり親和性がないのに安倍支持をした古賀派で、山崎派津島派などは自主投票だったよう。とはいえ、彼らを動かしているのは、派閥の合従連衡で反安倍をやるよりも世論で支持をされている安倍に素直にのっておく、という考え方で、どちらかといえばかつての永田町の論理では動いていないように見える。小泉的なパフォーマンス政治が成功(郵政解散での勝利)してきた余波みたいなもんだろう。
これは、小泉氏が政策をもって派閥横断的に勝利したと考えていても、実際にはそのパフォーマンスが支持されたに過ぎないというねじれに原因がありそう。なので、一見永田町の論理で動いていないようにみえても、安倍氏選出のときのように政策が引っ込んでしまうとちょっと居心地が悪い。自民党も大政党ではなくなったし、これが民主主義ということだから仕方のない事か。
では今回はパフォーマーとして達者とは思えない福田氏が支持されたのが、永田町の論理の復活かと言うとそれもちょっと違う気がしている。けっきょく、参院選で懲りた安倍氏的でないものを択ぶ心理−その「達者ではない」という別の意味でのパフォーマンスに期待するという部分が出ているのではないか。
そういう意味で、たとえば早々と谷垣氏が支持を決めたことなど、いくらかは政策が前面に出ている気味はあれど、安倍氏が択ばれたときとそれほどの違いがあるわけではない。のかもしれない。