テロリストと計算

久しぶりにここ覗いてみたのだが・・・。
「あの国」のやるべきことは - 内田樹の研究室

けれども、これまでのところテロ活動は行われていない。
なぜか。
それはテロ活動を行うことによってテロリストが期待できる「利益」と、しないことによって現に確保されている「利益」を考量したときに、後者の方が大であると彼らが判断しているからである。
「あの国」に今テロを仕掛けることは容易である。
だが、それをした場合に「あの国」の国民の圧倒的多数は「交戦権の放棄」を謳った憲法を棄て、増税を受け容れても軍備の増強に国力を傾注し、テロリストとの平和的交渉を支持する言論を圧殺し、対テロリスト報復に国民が撃って一丸となる「復讐国家」が誕生することが確実だからである。

要するに日本に対して今まで(国際的な集団による)テロが起きてないのは、テロを起こすことによって日本が変貌しその復讐が脅威となるのは困る、それだったら今のままがいい、そんな計算をテロリストがしているからなんだそうだ。


まず以下の点が的を外れていると思う。本文のほかの場所から引用させていただく。

それは、異常に均質的で付和雷同型の国民性をもった「あの国」が先端的なテクノロジーと強力な経済力とその経済力にふさわしい軍事力をもって「復讐」のために(おそらくは国連の制止など意に介さず)血眼になるであろうという確度の高い予想が成り立つということである。

これ、確度が高いんだろうか。
確かに諸外国からみれば、日本は均質的で、雑多ではないかもしれないが、「異常」と形容できるほどだろうか。また、国連の制止も意に介さず血眼になるだろうか。たしかに過去に国連にそっぱ向いた事はあったが、あのときと今とでは「国連」もまったく変容していると思うし。


あとはテロリズムというのが行動指針において、そんな計算なんかしてるだろうか、ってこと。
一発やれば二発、下手すれば十発くらい返ってきそうなのに、組織が壊滅状態にすらなりかねないのに、アラブの強硬派はイスラエルにテロを繰り返す。ここは、「ロシアにチェチェン独立派は」でもいい。それらの例を見ても、テロリスト達がそんな計算高いとは思えないのだ。
明らかに割に合わない事をやっているように、傍からは見えるのだ。


そもそもテロリズムは計算を超えたところから出てきているのではないか。
武力において、あるいは数において劣る自分たちにとっては、漸進的な現実的な政策では時間がかかりすぎるし下手したら実現も覚束ない。だから一気に転覆しようとして無茶な行動に走る。これこそテロリズムだ、と思う。
たとえば日本の新左翼が爆弾だの山岳アジトだのでいちばん過激なテロを行ったのは、70年代になって左翼運動が退潮し、計算が成り立たなくなってからのことなのだ。それまでは投石か、せいぜい棒でつつくくらいだったのに。
どう計算しても勝てないとなったとき、その計算に屈して一生負けた人生をやっていくのか。それともいちかばちかに賭けるのか。
勝つことの意味が人生の意味そのものである場合、後者を選ぶ人が多く出てくるであろうことは理解できる。


ここでこれ以上長々書かずにまとめれば、日本がテロの標的にならないのはそんなこんなでやはりテロリストの計算のせいとは思えないし、またその計算の推定の内容においても(日本はそこまでじゃないだろうという意味で)的を外してませんか、という事。


とはいえ、標的にならない事に関して、憲法の9条を掲げていることが、もしかしたらどこかで影響しているかもしれない。そんな大それた分析は私の手には余る。だから、テロが起らないのは憲法9条のせいではない、とまでは言わない。
ただ、テロリズム、テロリストといったものを、あまりにも都合よい理解のもとに用いすぎている気がしたのだ。好ましいオハナシを作り上げるためにそこまでしていいのか、と思った。
そしてこれは余計なお世話だが、こんな文章を書かれては逆に、憲法9条を守ろうなんて人が減りはしないか、とまで思えてきたのである。