ルールとマナー

今日はいつにも増してどうでも良いエントリかもしれないが反発は受けるかもしれない。
このニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071108-00000011-mai-soci
時間が経つと消えてしまうので、以下一部引用

東京都府中市のJR南武線府中本町駅で10月、禁煙場所での喫煙を注意した男性が、喫煙していた男に殴られ、顔面骨折で全治7週間の大けがをしていたことが分かった。駆け付けた警察官に傷害容疑で現行犯逮捕された男は「注意され、頭に来て殴った」と供述、傷害罪で起訴された。男性は「モラルを守れない人を注意してなぜ暴行されるのか。今後もルール違反には間違っていると言っていきたい」と話している。
(以下略)

この件に関するブログを書いた人の100%近くが、喫煙男が悪い、と書いている。
ブログでそんな当たり前のこと書いて楽しいのか、と思ったりするが、まあ楽しいのだろう。
私は、この被害にあった男性のコメントの様子から想像するに、おそらく自信を持った毅然たる態度で喫煙男に注意したのではないか、と思う。
もしくは、丁寧にいちど簡単に注意しただけでは、顔面骨折するほど殴られないだろうから、それ以上のやりとりもあったのではないか。


むろん、あくまで想像で言ってるだけであって、事実はどうか分からない。一般的なよくあるケースとして上記のような出来事であったと仮定した上で書く。
で、今回のようなケースの場合、どうもマナーとルールが混同されているような気がするのだ。マナーというのは本来押し付けるものではない、と思う。ルールというのは場合によっては有無を言わさず押し付けなければならないが、マナーについては理解してもらったうえで実行してもらうようなそんなものではないか、と。必然的にマナーを指摘する側の態度も大人対大人の会話のマナーに基いた慎重なものになるだろう。そこまでして理解もできずマナーを守れない者はただ恥ずかしいという事であって、恥を知らないのであればそれはもう仕方がない。


そもそもオープンエアーな駅での喫煙が、そんなリスクを負ってまでせん滅すべきものかどうか、ちょっと迷いがあるのだ。
喫煙などどちらかといえば微罪だろう。痴漢行為のように相手の人格まで被害を及ぼすような重大な罪とも思えない。立小便や、駅近自転車放置、犬のクソを放置するのと同じような程度じゃないか、と思うのだ。(駅近自転車については緊急自動車の問題がある場所もあるだろうけど。)
従って、違反者の罪意識も低く、どちらかといえば、ルールよりマナーの問題と思われるので、警官や駅員の身分ではないものとしては、違反者に対して大人対大人の節度を持って接したほうがベターではないか、と思うのだ。
つまりどういう事かというと、「ここ禁煙場所ですよ」というまるで自分が公=ルールを代表するような注意の仕方ではなく、「たばこ、できたら止めてもらえますか」みたいな注意の仕方の方がベターではないか、と。それで相手が止めないなら、あ通じないな、とエスケープしたらいいんじゃないか、と。10メートルも離れれば煙の被害なんかほとんど無いのではないか。
ルールを司るものでもない者がルールの顔を当然のごとくされてしまう事に反発心が生じてしまうのは、無理からぬ事ではないだろうか。
もちろん交通ルールのように一歩間違えたら命の危機につながるようなものは、私人がルールを主張せざるをえないだろう。
しかし繰り返しになるが喫煙がそれほどまでのものか。命の危機につながらないような違反行為の指摘に、だいじな命を危機にさらすのはあまり勧められない、と思う。


この間、あるレストランで、そのレストランは喫煙禁煙を分けていない所だったのだが、私のヘヴィースモーカーの同席者がメニューを頼み終わるなりすぐプカプカやりだして、明らかに近くの席で食事中の嫌がってる人がいるのに全く無関心だった。
私はこういう場合だって注意しても良いと思う。ルールは存在しないがマナーの問題として。ただしマナーなのだから大人対大人でやんわりとでなければならない。そしてもちろんそれ以上に、私の同席者のような立場の人は周りで迷惑がってる人がいないか注意を払うべきだし、もしいたら、喫煙可能であってもすぐ消すべきだ。駅と違って喫煙者から離れるのは容易ではないのだ。食事中に席を替わることほど嫌なことはないだろう。


ルールがルールがといって違反者をやりこめるのはできたら公人にまかせて、私人の領域では喫煙はマナーの問題にとどめた方がいいと私は思う。
たしかに喫煙に関しては昔からマナーマナー言ったところでいつまで経っても根付かず、近年ルールの問題とすることでマナーも向上する、という面があったと思う。歩きタバコなど、あえて禁止地域ではなくてもかなり減っているのではないか。
ただ、こういうニュースやレストランでの出来事などがあると、ちょっと考えてしまったりするのだ。ルールを強調しすぎることで下手したらルールに反してなければ許されるといった雰囲気が蔓延しかねないというのが、余計な心配であって欲しい。