選択できるということ
今日はいちいち書くようでもないことを書く。
吉野家のテラ豚丼のはなし。
結論をまず
・吉野家の社員だかバイトだかがやってることが気持ち悪いと思ったら吉野屋行かなきゃ良いだけの話。
・途中まで食べたものを戻した程度で衛生的に問題があるとかいうのは攻撃したいがための理由づけにすぎない。
吉野家の製品なんてわれわれの生活にとって必需品でもなんでもないんだから、問題と思ったら行かなきゃいいだけ。
どうしてこういう選択の自由を行使ししようとしないのか理解に苦しむ。
年金だの増税だの、逃れられない不利益があちこちから迫ってきてると言うのに、簡単にエスケープできるような問題になぜ一所懸命になるのだろうか。
しかもやったことは途中まで食べたものを戻した程度であって、例えば立食パーティだって食いかけの皿にお代わりしたり酔っ払って手を使う奴もいたりしてして、その程度の雑菌はつきものだろう。
口の中の物まで戻したとかいうわけでもないし、何日もそのままにした挙句に客に提供したわけでもなし、しかもあんな加熱済みの塩辛い味付けの商品で食中毒など起る可能性はまずないはずだ。じっさい、動画が取られたころから今までそういう話は聞かないし、ということはこれからも聞かないだろう。
どこに問題があるのだか、とても理解に苦しむ。