悲しき現実

ちょっと気になったニュース
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080117i203.htm

【上海=加藤隆則】隈丸優次・駐上海日本総領事は16日、昨年末に大幅拡張された「南京大虐殺記念館」に対し、「日本人の残虐さを繰り返し強調しており、参観した中国人に日本人への反感、恨みを抱かせる懸念がある」として、展示内容の見直しを申し入れたことを明らかにした。

 日本政府が中国の抗日戦争関連施設に直接、展示見直しを求めたのは極めて異例。

 申し入れは隈丸氏が10、11の両日、南京市を訪れ、同市や同館の首脳部に「日本政府の問題意識」として伝達。諸説ある南京事件の犠牲者を同館が30万人と特定していることに触れ、「従来以上に30万人が強調されている。いろいろな意見にも耳を傾けるべき」と述べた。中国側は「対日関係には十分配慮し、平和のメッセージを伝える内容だ」などと応じたという。
(以下略)


ここで今さら、こうなったのはそもそも日本国内の見直し派のせいであって自業自得、という非難をここでは繰り返さない。


小泉〜安倍政権が終わっても、相変わらず日本政府はまだ過敏なんだなあ、と思う。
なぜなら、冷静に考えれば、中国共産党が今一番心を砕いているのは自国の経済をいかに緩やかに拡大させることであって、したがって、日本と敵対するより友好的であることによって得られるもののほうが遥かに大きいことくらい十分自覚しているはずで、中国側がそんな非友好に繋がるものに積極的になる事もないのでは、と考えられるからだ。だからどうしても、「日本人への反感恨みを抱かせる懸念が〜」というのは日本側の感じすぎのように思ってしまう。
むろんこれは無責任な推測であって、私は施設を実際に見たわけでもないので、これ以上は言えない。


ただ次のような言葉を聞いてしまったことは、やはり残念に思う。
日本人の残虐さを繰り返し強調しており」
ここは是非こう言って欲しかった。
当時の日本軍の残虐さを繰り返し強調しており」
そして更に望むなら、「現在の日本人と重ねてしまうような方は中国にはほとんど居ないと信じるが、誤解を生じさせる懸念が云々」と続けて欲しかった。


近代が発明(発見ではない)したにすぎない民族という概念。もちろん功罪あるだろう。
でも恣意的なものであることに変わりはない。
そこにアプリオリに固有の性質が認められるから民族が分けられてきたわけではない。民族がさきに発明されて、後からその中身が想像され、またときに創造されていったのだ。


その際、もちろん何もない所から「性質」を生み出すのは困難だろう。ある地域の集団の生活にはそれなりの生活の特徴は認められた、と思う。それが民族の「性質」へと発展し、違いが見出されたとき、それらの違いがあることが、様々な他の面にでの違いもまた生み出してしまった。ここに錯誤があると思う。乱暴に単純化すれば、たんなる行動様式の違いが心理や感じ方の違いまで想定してしまったのではないか。
「日本に暮らしている人」と「中国に暮らしている人」との行動様式の違いが、「日本人」と「中国人」の感じ方の違いまで作り出してしまった。


更にいえば、そういう「性質」の違いの由来を虚構にすぎないとまくし立てなくても、それが例え存在しようとも、それよりも遥かに比べようも無く大きい同質性を人間は持っているという事。であるからこそアメリカのように雑多な出身地の人々がひとつの国に共に暮らせるのだ。
同様に、日本人と中国人とどちらが残酷か、とかそういう問いも意味が無いだろう。例え違いがあったとしても、それを無視できるくらいに同じ程度に日本人も中国人もときに残酷であり残酷でない、だろう。


長々書いてしまったが、総領事の方の発言に戻ると、「日本人の残酷さを」という言い方は、その民族には固有の性質があらかじめ存在することを前提にしている、しかも、さもそれが重大であるかのごとく考えている人だからこそ出てしまう言い方ではないだろうか。
それが何とも残念である。総領事の方を非難するのではなく、こういう発言がいまだ仕方ないものであることが残念なのだ。多くの人がきっと違和を抱かないのが。


公の場で公人が「日本人」だの「中国人」だのの語句を使ってそのメンタリティまで云々してしまう、というのは例えその存在を否定するものとしてであれ、そういう言説空間を許してしまうことになりかねない。つまり、日本人は残酷なのかそうでないのか、という意味のない問いが問われる場を作りかねないのだ
しかもこの総領事の方は、「中国人に恨みを抱かせる〜」とも発言しているが、これも、中国の人たちを、日本人は残酷な民族であるというふうに感じかねない、レイシズムを抱きかねない人々であるかのように考えているからこそ、の発言ではないかと。
むろん、中国に限らず多くの国にそういう現実はあると思えるし、「○○人は××だ」と考える人も各国それぞれ多いだろう。だからこの発言が問題になることもまずないだろうが、現実を追認し、民族固有のなんたらという意識を拡大しかねないような発言ではなく、もう少し工夫した言い方がなかったかな、とここも重ねて残念に思う。


要するにきっと私は欲張りで、一歩先が欲しいのだ。


いやはや、今日はいつにも増して乱文で、私の文章こそ誤解どころか理解もしにくくなってしまった事は反省。