音楽産業の未来

id:heatwave_p2pさんからわざわざコメントいただいたのだが、それをきっかけに色々考えてることを書くことにしようと思う。なおこれは雑感みたいなものであり、シリアスな反論というものでもない。見当違いの話が混じってる可能性もあり、コメントへのレスではなく新エントリという形をとらせて頂く。芸術作品と娯楽作品 - 素通りできなかった時のためにで書いたことの続きでもある。


まず恐らく多くの方と異なるだろうなあ、と思われるのが私の立ち位置。ここが違うせいで権利者団体にたいする態度が違ってきているという面がけっこうあるのかもしれない。
どういう立ち位置かというと、それは私が音楽産業を、おそらく将来的に衰退していく産業だろうなあ、というふうに捉えている事。


もしも音楽市場というものが将来的に発展拡大していく可能性があるのならば、権利者団体が必要以上に守りに入ってるというふうに感じられてしまい、私も同情などしないかもしれない。でも現状も将来も厳しいと思う。こういう状況では、むしろ必要以上に守ることで、音楽産業の衰退をできるだけ緩やかにしてあげる方が良いのかもしれない、と私は思っている。どうせ衰退するのならばすぐにでも無くなってしまえばいいのだ、みたいな、生活というものを重要視しない若い意見とか、あるいはグローバリズムに寄り添ったような意見には私は組しない。たいていの産業については、その衰退がある程度見えたとしても、可能ならば非合理とはいえない範囲で衰退を緩やかにしてあげたほうがいいと思う。途中でうまく均衡しないとも限らないし。


私がこれを書くにあたって念頭においているのは、ジャズのことである。
ジャズはいろいろ異論はあろうが、ジャズは1970年代後期にはもう終わっている音楽である。
これは「終わっている」という言葉の解釈の問題でもあるのだが、マイルスが電子楽器を導入したりしたりしてフュージョンとムーブメントが起こり、ロックやブラックとの融合を試みた音楽が一段落すると、ジャズは一通りのことをやり終えてしまった感じなのだ。マイナーチェンジとは逆の意味でメジャーな革新的な変化はあれ以降、ほぼ無い。


そのマイナーな変化でもジャズファンにとっては十分楽しめることは否定しない。ただディープなファン以外の者を巻き込むような爆発的な消費を喚起できるほどのものは無かったということだ。
資本制社会では「新しさ」こそが売上を喚起する。もちろん要素はそれだけではないが、もっとも主要な要素だろう。ジャズが次から次へと新しいスタイルを生み出し、生き生きとしていた頃、社会的にも今より遥かに遥かに注目されていた。
ジャズも単に売上からいえば、1960年代初頭より1980年のほうがより売れたのかもしれないが、それは一般大衆が音楽に掛けられる小銭があるかどうかに主な原因があるだけで、その原因を考慮しなければ恐らく1960年頃がジャズが最も売れた時代であっただろう。そのことを証明するのは簡単で、今でも、現役のモノと同じかそれ以上にいわゆる"モダンジャズ"=あの頃のミュージシャンのものが売れているのがジャズなのだ。


結論からいえば、総体としてのポップミュージックもジャズのような状況になりかかっているというのが私の推測なのである。資本制社会では「新しさ」こそが売上を喚起する、と書いたが、とくにポップミュージックにおいてそれは言える。別の面からいえば、そこでは音楽の質はあまり関係がない。
近年音楽が売れないのは質が低下したからだ、なんてのは全くのウソであるプログレやハードロックが一通り一世を風靡したあとになぜパンクが爆発的に売れたのか、を思い出せばいい。ポップミュージックが売れることに関して品質はあまり関係ないことがじつに良く分かる。


ついでに言えば、ジャズとポップミュージックの違いもそこにあり、ジャズは新しさとともに質も問題となる。ゆえに新しさだけでは、勝負にならない。
そしてポップミュージックは新しさだけで勝負になったりする。だからこそ、ジャズよりも延命できた。だが、その新しさすらも、すでに出尽くしてきたのではないか。これは見当違いだろうか。つねに先頭を走ってきたブラックミュージックの最近のマンネリぶりに意気消沈している私の考えすぎなのだろうか。


長々書いてしまったが、上記のことからしたがって、heatwave_p2pさんの次のような言葉は今ひとつピンと来ない、というのが正直な気持ちなのだ。

だからこそ、私は音楽産業が舵取りを誤ってはならないのだと思っています。

いったい、音楽産業にうまく舵を取らせればまだどうにかなる段階にいるのだろうか、などと考えてしまう。
ハンドル操作だけでスピードを再び上げろ、といくら迫ったところで、きっと誰だってそんなことできやしない、と、そんな風にも。