読まずに批判云々

前回の続きで。


アマゾンにはレビューのコーナーがあって、あまり参考にならない部分もあるけど、つい読んでしまう。
レビューというのは批評一般の事を指すと思うんだけど、投稿しているのは殆どが素人だと思われる。誰でもIDみたいなのを取れば投稿できる。
そんな素人が寄り集まっている場所に、読まずに批評する、なんてのがどれほど見られるのかな、とか思ってしばらくいろんな所見てみた。例えば、川上未映子のレビューは本数自体ほとんど無くて、えっこんなに人気無かったの、と驚いたが、アンチが多そうな綿矢りさなんかも、とくに評判が悪そうな『夢を与える』は一通り走り読みした。
全部読んでいないとかいうレビュー、ごくたまにあるね。
ただ、最初から全部読むつもりなどない、というようなものは見つけられなかった。皆、少なくとも読もうとしている。
なかには、途中までしか読んでないので、つまらないながらも☆3つという公平な人もいた。


そもそもつまらないと途中で止めたくなるのは仕方のないことで、途中で止めたものについて何か言いたくなることもあるだろう。そういうふうにして、全部読まずに批判する人がたまにいることはあるだろう。
確かにこのくらいは仕方のない事かもしれない。ただしイレギュラーとして。
イレギュラーを、一般論に含めて、それもあって良いなどと言えるとしたら、そのイレギュラーがよほど全体に貢献している状況がないといけないと思う。


そしてぜんぜん読まずに批評とか、偶然ちょっと目にしたけどもう読む気がない批評なんてイレギュラーですらない。
アマゾンには私の見たところそんなものは無く、これがまあ、ある程度レビューでの常識から外れることなのだとすれば、素人のブログでだって外れたことだろう。
場としてそんな違いがあるとは思えないんだよなあ。


「批判」「批評」の「批」は手へんに比べると書く。
実際手にとって(作品に触れて)、しかも比べると書くのだから全体像を把握するという意味も含まれるだろう。
つまり、そもそもが一部をもって、というのは批評として字義的にありえなさそうなのだが。いわんや、触れずに、などもってのほか。
勝手に漢字を解釈してしまったが、きっとそう遠くはないだろう。