匿名ならOK?

「光市事件の死者は1.5人」 准教授の記述で青山大学長が謝罪(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080425-00000984-san-soci
この話題について青学やこの教員を責める言説に出くわす度に、「自由」を自ら制限しようとする人の多さに驚く。わが国の場合せっかく国が保障してくれているのに、そんなものいらないというワケである。


実名だろうと匿名・固定HNだろうと所属がどこであろうと、許されない言論は許すべきではないし、許されるべき言論には寛容であるべきである。
で基本はいいはずなのだ。
件の青学の教員が書いた事を唖然とするような内容と形容される方もいるけれど、匿名であれば、その唖然とする内容は放置されていいのだろうか。
逆に言えば、匿名であれば放置していいものであれば、実名だったところで抹消されなければならない理由がない。問題は何よりも内容なのではないか。


もちろん「現実」はある。例えばここで書いている私、ではなぜお前はHNなのか、と言われれば「現実」があるからで、しかしこの「現実」は決して積極的に追認されるべきものではない。


例えば、企業の内部告発制度などは告発者の名前が漏れないように注意するし、最近では警察でも性犯罪で匿名告発ダイアルを用いたりする。これらは、発信者を「現実」から保護するために仕方なく匿名になっているだけであって、それを告発者が用いず災禍を招いたからといって非難されるいわれはないだろう。あくまで悪いのは「現実」なのだから。告発者を保護する制度が充分でなかった時代には、企業からひどい報復を受けた事例があるが、それをもって「そういう事があるから告発なんかするな」と言うべきか。もちろん、処世術としてそう言いたがる人は沢山いる。しかし、私はそういう場合の告発者を責める気は毛頭ないし、まして処世術を人にうだうだ言う程のおせっかいでもない。ただ自由をできるだけ保持したいだけである。


今回のような事はできればイレギュラーであって欲しいものである。実名であるだけで直ちに本人の責任が匿名に比べて重いだけでなく、さらに所属先まで責任を問われる事がこれ以上続けば、いったい誰が実名でブログなどやるものだろうか。損するだけの選択など誰がするだろう。そして、ネットが殆ど匿名だけの世界になれば、それでいいのかどうか。


ちなみに、大学人であるから余計にモラルを要求云々という議論があるが、さすが女性問題で政治家を辞めさせてしまう国だけある。芸術家タイプの職業以外の人々は、みな聖人のようでなきゃいけないみたいだ。
大学なんて、もはや大人対大人の場所であって、教師の人格まで学ぶようなところではないだろう。私が学生時代の頃はヘンな性格の教授は沢山いたぞ、一般社会からは外れたような。
というか一般社会からは外れたような人間だからこそ、その研究分野での発見なり発展があったのではないかとか思うのだが。いや法則ではなく傾向として。普通の人が眼をつけないような所に眼がいってしまう能力はそういう人間にこそ宿るのではないか。「常識を疑え」とは成功談などでも良く言われることである。それと良く似たこと。