言論における肩書きのメリット

これはあくまでついでに言っておきたいこと。
例の准教授が肩書きによってメリットを得ていたからデメリットも受けるべきみたいな議論について。
少なくとも主観的に当人にはそんな意識はないだろうが、ほんとにみんなそんなのがメリットだと思っていたのかねえ。もし本当にメリットだと考えていたら、こんな直情的な反応は示していないのではないか。
つまり「何だこいつ」「許せん叩きのめす」ではなく、「え!何この文章・・・ほんとに本人が書いたの・・・」「いや大学教授だから、何か深い理論に基いてるかもしれないよ」「そうかなあ」「ちょっとコメントしてみようか」「答えてくれるかなあ」みたいな反応であった筈なのである。メリットがそこにあるのなら。
大学教授だからといって専門外の話になると結構アレな人もいる、というのが今の社会の共通理解なんじゃないのかなあ。とくに下ネタ的な話題もときどき耳にするし。だからこそああいう反応が起こっているんではないか。


むろん青学のセンセイという肩書きはカードとか不動産とかのクレジット契約なんかでのメリットは絶大だろう。だから詐欺とか起こしたらそりゃ大学の責任も云々されるかもしれないけど、言論はちょっと違うだろう。東大だの東工大だのならまだしも、青学で言論への信用云々とうのは考えにくい。


ところで、「看板」とかいう人もいたけど、同じ大学に属していながら、政治的な左右ももちろんいるし、刑法の旧対新のように学説において明確にお互い対立した教授が存在しているのが大学であって、じゃあ「看板」というならどっちの教授がその大学の看板なんだろう、とか。
そういえば慰安婦問題では藤岡さんと上野さんという全く正反対の人が一時東大には在籍していなかったっけ?