規制は全てが悪だからなされる訳ではない

id:NOV1975氏へのブコメの続き。
「廃止ではないよね」と言われたが、3ない運動ではバイクを所有する事すら禁じられたのをご存知ではないらしい。そういう方針をとった高校、および高校生にとってはまさしく「バイク廃止」以外の何物でもない。


直近の例で言うと硫化水素自殺の問題で、ある家庭用品の販売が規制されてしまった。当然、その家庭用品を正しく使っていた大勢の人々は困っている。まさしく一部の悪者のせいである。
これでもまだ、一部が悪くても全てを規制すべきではない、となるのだろうか。
いやそれでも、もはや状況的に「一部」ではない、となるのかもしれない。
では以前出した例で言えば、オークション詐欺などはどうか。ヤフオクに参加していた者のうち詐欺を目的とした者などほんの一部に過ぎなかったと思うのだが、ヤフーは全ての人に厳格な本人確認を強制した。これも間違いなんだろうか。
訪問販売だの喫煙だの携帯電話だの銀行振込だの川釣りだの猟銃だの、そんな例は沢山あるように思う。


規制と名のつくものの多くは、別に全ての人が悪いという前提で規制をしているわけではない。
きちんとやっている人の方が多いことなど最初から分かっているのだ。それでも、その構造が、一部の人の悪行を生み出しやすく、また、その被害が無視できないほどになれば、規制されざるを得ないのはごく当たり前の事だと思うのだが。


ここからは持論になるが、もし匿名を擁護したいのであれば、そのメリットを前面に出し、公共の福祉論つまり一人の人権と匿名を維持した場合の社会の利益を天秤にかけるしかないと思う。
より束縛のない雑多な言説空間という意味で、匿名ならではの良さというのは確実にあると私は思う。
だからできれば匿名擁護者に説得されたいのだが、現状起った被害などをみるに、その被害者の人権を踏みにじってまで擁護すべきとする説得的なものにまだ出会えていない。


※追記
id:ex_hmmtさんよりIDコールいただいた。

「暴走族のせいでバイク乗りが全体として規制されてきた」として、それは果たして正しい方法なのか?という事も考えてみる必要はありますよね。

その通りですね。
ただしそれは、一部の者の悪行により全体が規制される事は多々あるしあっていいのだ、という事を前提にしないと進まない話でもあります。