誹謗中傷は区別できるのか

上記記事の補足。


さて、「匿名による誹謗中傷」と「匿名による誹謗中傷でないもの」は分けて論じることが出来るのだろうか。
もちろん出来る。個別のメンバーについての一般論は可能だ。
例えば、「匿名による誹謗中傷」は禁止すべきとかいやそうではないとか論じることが、当たり前だが出来る。


では「実名・匿名」論議においてはどうか。「匿名による誹謗中傷」だけ区別し、脇に置いておけるのか。
それはできない。実名・匿名論議というのはクラス同士の議論であるから、基本的にメンバーを予め排除してしまっては正確な議論にならない。つまり匿名を擁護する者は、「匿名による誹謗中傷」のない世界を前提に、それと実名を比べて議論してはならない。


ところで蛇足だが、「匿名による誹謗中傷」と「匿名による誹謗中傷でないもの」の区別は予めつくのだろうか。
実際において言えば、ブロガー達に今すぐ匿名を実名にしてくれと言ってみても殆どの人が出来ないであろう。それくらい皆、匿名であることにより内容を変えている可能性がある。既に内容を変えているという事は、いつだって容易に自分の人格と切り離すことが可能であるという事でもある。もしネット上の匿名人格に本心をつぎ込みすぎたならば、現実を仮装してしまえばいい。
多くの人は自分には理性があり、これが在るかぎり、自分はいくら匿名でも誹謗中傷はしないと考えている。しかしこれは危うい綱渡りだ。相手にも理性がないかぎり、自分の理性が通用しない可能性だってあるからだ。自分の理性だけではなく相手の理性にも頼っていること。
そして我々は時として、訳も無く悪意にとりつかれ理性をそのコントロールの元に置くことだってある。こういう悪意を自分に認めない人はシアワセである。そういう人は例えば文学なぞきっと縁もないのだろう。
などなど考えるに、「匿名による誹謗中傷」と「匿名による誹謗中傷でないもの」の区別は、発言する者の主観において、恐らくたいていはつくのだろうが、あくまでたいていでしかない、としか思えないのである。


蛇足の方が長い。