疑似科学批判に関して補足

NATROM氏のエントリにブクマで少し意味の取りにくいコメントをしてしまったので補足。コメントを修正すればいいのだが、☆いただいたので訂正しづらい。


疑似科学というのは宗教オカルト的なものと考える人がいるけど違うと思う。(NATROM氏がそうというわけではない。)
疑似科学は、そこに科学信仰がもともとあって、科学的なものを求めているのにかなえられそうも無い或いは拒まれるという所から発生するのではないか、と。
宗教の正統的なところからオカルト・異教が生まれるように。
だから、両者は根は一緒であって対話の可能性が高いのに、「どんな言葉も通じないだろう」とするのは、求めている者をはじき返すような言葉に思えたのだ。


もしかしたら、正統宗教が異教を必要以上に攻撃したがるのと同じように、科学者が疑似科学に憎悪をより抱くということで無理もないのかもしれない。
ただやはりオカルトの主宰者を憎んでもただの信者までをもそうするのはどうか、と思うのと同様、疑似科学の提唱者ではないただの信奉者に対するものは、少し違うものであっても良いのではないか。