物語も色々

もちろん30代女性だって色々いる。
『いい学校・いい会社・いい人生』という物語 - アンカテ

というのは、私は中学生くらいの子供を持つ母親と話す機会がけっこうあるのだけど、30代くらいのお母さんたちは、ここで言う『いい学校・いい会社・いい人生』という価値観を固く信じている。

私はそんなに沢山接しているわけではないが、私が知っている30代女性(たち)とは全く違う。彼女たちは息子に子どものときから受験受験みたいな窮屈な人生を送ってもらいたくないという考えの方が強い。健康で人様に迷惑かけることがなければどうぞ自分の好きな事をやってください、という感じだ。だから老後に関しても面倒を見てもらうことを期待などしていない。このへんは自分が好きなことを思う存分できなかったこと、そして自分が充分親の面倒を見ていないことの、それぞれ反映と考えるとしっくり来る。


というわけで相変わらずessa氏は、日本社会の不健全さを全く逆に捉えているのだが、結論からいってしまえば、むしろ今世間に蔓延しているのは、『いい学校・いい会社はいい人生にならない』という物語なのではないか
今の30代といえば、上場会社の度重なる倒産、山一・三洋の崩壊、銀行の合併リストラ、大蔵省の解体などを経て、場合によっては友人の父親がリストラされてタクシーの運転手やコンビニでレジやってるなんて経験をしてきている。『いい学校・いい会社はいい人生にならない』という事をむしろ刷り込まれている世代だろう。どうして30代の女性のみがそれとは逆の物語など信じるのか。
そして問題は、『いい学校・いい会社はいい人生にならない』という事の意味を取り違えて刷り込まれている部分があることだ。
『いい学校・いい会社はいい人生にならない』というのは、たんに一方通行的な保証・方程式が崩れたに過ぎない。冷静にふつうに考えれば、いい学校・いい会社は悪い学校・悪い会社よりもいい人生になる可能性は相変わらず高いのだ。いい学校に入れて少しでも子供の可能性を広げておくことが悪いはずがなかろう。東大を出てクレープ屋をやることはできるが、工業高校を出て都市銀行に就職することは至難である


それなのに新しい方程式めいたものができてしまったのが問題なのだ。いい学校・いい会社よりもまず自分をよく見つめて好きなことをやって夢を追った方がいい人生になる、というような。
むろん、それで"ゆず"のように大成功する場合だってあるだろうが、2組目、3組目の"ゆず"は中々出てこないのが現状である。


そしてもう一つついでに言えば、好きなことをやって成功するのだって、独力で成し遂げる事ができるような人は殆どいないと言ってよい。同じような志向性、能力をもった人たちが集うような場所でこそ、より良く早くその能力というものは発揮できるというものだ。お互いの間で批評し合い、指摘しあうことで気付かされる事というのは、非常に多い。自分以外の他者の批評と言うのは貴重なのである。しかも近いところにいる他者。また競い合うというモチベーションなども重要な要素だろう。
理系的なものだけでなく、例えば、独力で成し遂げるようなイメージの小説だって、大学の創作科みたいな所を経由した作家などもアメリカなんかでは非常に多いと聞く。


クルマが大好きな人が、クルマに関わる仕事であればどんなものでも幸せになるわけではない。もちろん中には、幸せになる人もいるし独立して修理工場やって改造の請負などもして儲かる人もいるかもしれないし、また、メーカーに就職したところで大企業が肌に合わない人もいるだろう。しかし組立工場のラインに入るよりは、工業大学を出てメーカーの研究所に就職した方が幸せになる可能性はかなり高いだろう。このことは、ハッキリ確認しておいた方がむしろ良いと思う。などというと、そんなの常識といわれるかもしれないが、まだまだ世間では、夢や自由の方が予想以上に幅を利かせているのだし、それを増幅しようとしている人だってまだ残ってるのが現状だ。とくにネット業界では。先日テレビのバラエティで、西川なんとかさんという女性が、合コンの話をしていて主な出席者は医者やIT関係の人などと言っていた。バラエティでそんな発言がみられるということは、まだまだ世間では、才覚次第で一花も二花も咲かせることができる分野があるという認知なのだ。これこそ問題とすべき『一つの社会観の絶対化』だろう。