個性信仰

時間がないのでほんとに手短に、これに言及。


バラの話が出てくるが、自分が手塩にかけたバラだろうと群生しているバラだろうと、見分けがつかないのが普通の感覚である。(少なくとも同じ品種である限り)
もちろん科学的にはそれぞれ個体として微細な違いは出てくるだろう。が、個体の個体性というのは、そのようにして例えば科学的であったりして、考えてから我々の目前に出てくるものではなく、思考前に、考えるまでも無く圧倒的に「ある」ものなのだ。


ほんとうに人を愛したことがある人なら、その人のかけがえのなさをバラだのたんなる機械にすぎないクルマだのに例えたりしないだろう。個体とは、手塩にかけても全く自由になどならないし顧てもくれない事のなかにこそある。
むしろ、あらゆるものには個性があるのだなどと謳い人とバラやクルマを同列に置くことができる人のほうが、「個性ある人々」というふうにしてそれぞれの顔を一般化し、ある局面では人をモノのように扱う事ができるのかもしれない。