脱オタが服オタに

ファッションに興味が出てきたやつにオススメする10アイテムをきっかけにファッション関係の記事が目立ったここ数日なんだけど、見事に最後にはこれじゃ洋服オタクじゃん、としか思えない方向に行ってしまった。
これでファッションにハマって、例えば、ろくに着もしないのに同じカットソーを色違いで全部買ってしまうとかになってしまったりする。そういう人っているんだよね履きもしないスニーカーを何10足も飾ってる人とか。そういうのって、全巻初回特典つきでDVD揃えてるのと余り変わらない、というかほとんど一緒。スニーカー飾るのとフィギュア飾るのとどこが違うの、という。


オタクっていうのは、対象の問題でもあるけど、より本質的には対象ではなく意識の問題ではないか、と暫定的に思う。
そしてそれは、スタイルとかセンスの違いとなって表れてくる。


例えばオタクとそうでない人との違いは、「きちんと」してるかしてないかに表れる。ぶっちゃけオタクの人は「きちんと」し過ぎなのではないか。
ファッションなんかでも、おたくのファッションは「きちんと」していないから問題だと思われがちだが、じつは全く逆なのだ。きちんとしてるのだ。
おそらく問題は単純に「ダサい」とかそういう事ではない。まともな格好をして一見小奇麗なのに一般の感覚からちょっとズレてしまってるという事なのではないか。


じゃあその一般の感覚とは何なのよという話にもなるだろう。
オタクと一番対照的な若者=土曜の深夜に地方の駅前ロータリーとかコンビニとかにタムロしてる人たちを見てみればよい。いかに彼らが「きちんと」していないか。でも「きちんと」してなくても決して「ダサく」ない。ベルトどころかまともにズボンを腰ではいてなくても、履いてるのがスニーカーじゃなくてサンダルとかゴム靴だったりしても。おそらく、彼らにとっては「きちんと」してることは非常にカッコ悪い
もちろん彼らを真似せよとは言わないが、一般の感覚ってあそこまでの距離の中間ぐらいにあるんじゃないの、という気はする。


かといってそういう中間点を慎重に探らないとファッションができないかというとそんな事はなくて、「きちんと」してない事は共通するものの、着ているアイテム自体は見事に好き勝手だったりする。もうバラバラ。
ありがちだけど、メタな部分まで論理を混同させてはいけない、と思う。つまりは、『「きちんと」しないこと』自体を「きちんと」捉えすぎるのも間違い。


#今思ったんだけどヤンキーな人たちが例として行き過ぎ感があるなら、ロックバンドとか例としてどうだろう。あのバラバラさ。


なんでファッションに余り関心がないのにこんな事書いてるかというと、はてなでファッションが議論になってから、アキバ事件の犯人である加藤某氏の格好が妙に脳裏に浮かんでしかたないから。なんでそんな「きちんと」したジャケットにパンツなの、という。事件が起こったときも、どうも服装が非常に気になったりしていたのだ。いやアレしかもってないのかもしれないけど、しかし一着だけとしてあんな私服を選ぶか。


話を戻す。
オタクの人は「きちんと」し過ぎなのではないか、という話だった。
強引にいえば、同趣味の人を「おたく」と丁寧に扱ってしまう所にも、その「きちんと」が現れていると思うのだが、まあ、最近のアニメ趣味の人はそんな言葉使わないかもしれずそれは置いておくとして、最初の方で言ったようにオタクとは意識の問題であって、そういう意識から脱するのが「脱オタク」なんだと思う。
ファッションなんて、極めて私的な趣味の領域であって、しかもDVDや本に比べたら人生を決定付けるような要素が含まれるわけでもない。むしろこういう所から「きちんと」しないべきなのではないか。


どんなベルトがこのチノパンに合うかとか、シャツの下に下着を着るべきかなんてそんな悩むことだろうか。ベルトが必要じゃない適当に快適なパンツは沢山売られてるし、トップスは機能性の高いジャージなら3シーズンはいける。シャツなんかいらねーし(ボタンが面倒だし洗えば皺になる)、パーカーとか言われると、寒くも無いのに手つっこんだりかぶったりさせるモノついてて邪魔としか思えないではないか。いちいち干し辛いしたたみ辛いし。
ジャージにサンダルで女連れてる人だって沢山いる。それで、三越行こうが丸ビル行こうが入店できない訳じゃない。そういう格好を、周りで気にする人はいるかもしれないが、ほんの僅か。たいていの人は全く気にしてないから。
ついでにいうとファッションにすごく気を配っても、たいていの人はその努力分かってくれないから。アメリカンアパレルGAPユニクロと無印のVネックの違いなんて、殆ど誰も気にしちゃいない、というかきっとそもそも分からない