メモ

経営がわかっている労働者と、わかってない労働者の格差が拡大していく理由 - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだについて


・「第三の道」が後からやってきたのを見ても分かるとおり、それはネオリベ政策の本質的部分ではなく、その修正である。そして、その修正は社会主義的価値観を持つ人たちの運動なしにはありえなかったのではないか。フォーディズム的部分が作用した可能性はあるが。


セーフティネットなるものも、彼らを生かすことが経済の発展に有用だからネオリベのあいだでそれが主張されるのであって、彼らを社会から抹殺しても経済発展にとってなんのストレスもなければ抹殺するだろう。というのがネオリベの本質。実際、この国では多数のものが路上で犠牲になってストレスが意識されてから、はじめて少し潮流が変化している感じである。


・いや経済の発展に有用じゃなくても彼らを救うとネオリベ信者が言うのなら、それは何故なのか?全く理由が思い至らないのだが。


セーフティネットはそういう意味で何の原理にも支えられないのだから、負担者自身が危機になれば先ず切り捨てられる。勝ってる人がそう簡単に、自分の富を手放すわけがないのは、いつでも一緒。世代間においてそうなら、横の関係でも。


・「全世界的なトレンド」というが、20世紀の後半からたんに紛争が減って資本の越境が容易になったぶん、一国で成功した制度(経営手法)が世界を覆い尽くしてきただけの話であって、当たり前のことに過ぎない。これは生き延びるために、嫌々ながら従わざるを得ないことであって、トレンドなどという選択的なものではない。


アメリカやイギリスが「行き詰まって」、サッチャーレーガンが出てきたのは、他の効率的な国(の企業)が存在したからであって、彼ら内部からの改革ではない。他に効率的な国がなく自分達の権益が侵されなければ、おそらく「行き詰まった」ままやってられただろう。


・冷蔵庫、エアコン、パソコン、確かにこれらは企業活動があったおかげで進化が早まった面はあるが、ネオリベ的世界観を補強するようなカタチでそのような消費財が今後も進化しつづけるのだろうか。あるいは新たな消費財が出てくるのだろうか。現在ある程度文化的な生活を営むためには、20年前くらいの消費財さえあれば充分なんだが。(私が乗ってるバイクはもう25年くらい前の機種なんだが立派に現役で、それどころか排ガス規制などの理由で現行のバイクより早かったりする。)
冷蔵庫もエアコンも洗濯機も掃除機もここ数年ほとんど進化を止めていて、新たに加わった大きなのっていえば、パソコンくらい。食器洗い機とか衣類の乾燥機なんかは、あんま必要ないしね。で、パソコンももうXPで充分じゃないかとヴィスタを拒否する風潮がある。


・いちばん危惧したいのが、この進歩信仰であって、今後なんも進化がなくなったときのために、あるいは進化の果実の分け前が非常に少なくなったときのために、むしろ今のうちにネオリベ的世界観から脱却したほうが良いのではないか、とさえ思ったりする。


・そんなに悲観的でもない部分としては、かつてのほうが滅私奉公的に企業のために働く人間が称揚されていたといえるわけで、いまの人は仕方なく働いている、本心からでなく一所懸命やってるという人が多いこと。将来が保障されるカネがあればやめたい。100人中99人が宝くじ当たったら会社なんか辞めて遊んで暮らそうと考えてるんじゃないのか。
昔のエコノミックアニマルと称された頃のほうがむしろネオリベ的ともいえるのかも。