マナーの無い人たち

下井守教授に拉致されかける - 猫を償うに猫をもってせよについて私が注目したのは次の記述。

図書館を出て煙草を吸いながら歩いていると、自転車に乗った老人が近づいてきて、「タバコは…」などと言う。

駒場の図書館には行ったことがないし、能力的に過去に行く可能性もなかった所でどの程度の広さが確保できているのか分からないが、町の図書室というよりはある程度大きな建物だろうと思うし、であればその周辺もある程度開放的ではないか、と思う。つまり図書館から出てすぐに窮屈な歩道になっているような構造ではないだろう。あるいは、自転車が「近づいてきた」ということからも、それなりのスペースはあると想像される。
いやもし違ったとしても、一般的な話をするわけなので、大学の図書館の8割がたはこんな周りの雰囲気だろうなあ、というのを前提に以下を書く。


ずっとタバコ規制の正当性は「迷惑」にあると考えてきたのだが、どうも、少し違ってきているのかもしれないと思わせるケースがあちこちで見られる。
「迷惑だからタバコを止めてください」ではなく「決まりだからタバコを止めてください」になっちゃってるのだ。
小谷野氏の所にわざわざ近づいてきたという事はそういう事だろう。まず最初に迷惑だと思ったなら、離れることが可能なら離れるのだから(さっき断ったように、あくまである程度開放的であること前提で)。
ガラガラの電車のなかで酔っ払いが騒いでわざわざ注意しに行く人はいないだろう。またそういう人が乗り込んできたら多くの人は絶対離れた車両に移動するはずだ。


健康増進法が施行される前の話だが、ある食い物屋に目上の人と2人で昼飯に入って、4人席で相席にされたときの事。
テーブルの上には座るときから灰皿があってヘビースモーカーだった目上の人は早速火を付け私も従ったのだが、相席の片方の人が明らかに嫌がっている様子。私はそれを見てひと吸いしかしていない自分のタバコをササっと消して、目上の人にそれとなく分かってもらおうとしたが、もうテーブルに灰皿があれば大きな顔で吸ってよいと思ってるかの如くで最後まで吸う吸う(しかも匂いのよりキツイセブンスターを)。
結局、その人はウェイター呼んで席を替わらせたのだが、移らされたのはその人たちの方で、私は余りにも申し訳なく「すいません」と言ったのだが、「いや店が悪いんですから気にしないでください」と紳士的に返答されてしまって、そんなやりとりもヘビースモーカーにはどこ吹く風。


決まり(ルール)を前面に出したら、決まりを盾に取られてしまう。禁煙エリアで喫煙者をやり込めれば、喫煙可能なエリアで今度は嫌煙を主張しづらくなってしまうものだ。原理が違うからである。前者はルールであり後者はマナーなのだから。嫌煙の人でも喫煙者をキチガイ呼ばわりするような人はいるものの、多くの人は、いくらなんでも一方でルールを主張しつつ、こっちではマナーという訳には行かない。そういう分別は出てきてしまう。
そのようにして、喫煙可能エリアでは嫌煙の人が辛くなり、禁煙エリアでは喫煙の人が辛くなり、お互い辛い部分を増している部分がある。
それが禁煙エリアだろうと、全く迷惑をかけるふうではない喫煙者をわざわざ注意するような行為の裏返しとしてこそ、喫煙可能なら一切周りのことを考えない喫煙者が発生する。私から言わせれば、わざわざ自転車で近づいて注意するような人も、私の連れの目上の人も、ルールでしか行動できないという意味において、全く変わらない、おんなじ人たちなのだ。


決まりがどうであれ、自分が迷惑だと思っていたらどんどん進言すれば良いんじゃないか、と思う。
まあ多くの人は面倒なんだろうなあ、という事なんだろうけど、面倒ならそれだけの話だ。法律できちんと決めてもらえるまで待つような、ようするにその程度の迷惑でしかないのだろう。


電車に乗ると、ヘッドホンの音漏れやケータイなんかはしつこく止めてくれと放送されるが、私は大声で話す酔っ払いや、人の肩の上で日経読むサラリーマンとか、結構「すみませんが止めて」と進言させて頂く。ルールとしてしつこく言われているわけではないが、迷惑だからである。そんな事までアナウンスしてもらうまで待ってられないからである。しないだろうし(迷惑行為を一から十まで全て挙げるのは不可能)。逆にいえば、ルールとされていても、自分の気にならなければ何もしない。小さな声で話してくれるならケータイなど実に気にならないものである
立小便を誰も注意しないように、こういう行動原理は当たり前的だと思うのだが、どうも喫煙に関してだけなんか神経質だな、と思う。あるいはネットだけなのか。
因みに、もちろん私は、一見して報復が怖そうな人たちの場合まで迷惑行為を注意するような、そんな無理はしない小心者かつ卑怯者なのだが、ああいう人はたいていケータイと戯れていてそんなに気にならなかったりする。


※しかしここ見ると、ファシズムとか揶揄されるのも分からなくはないなあ、と思う。目的を同じくするなら、どんな意見でも許容しちゃえるという所など。しかし中々すごい光景。